【平成12年(2000年)】

前書き
98年 99年 鹿島小学校の玄関にて プラスチックの箱にノートとボールペンを揃えて大夕張を訪ねて来た人に 思い出を書いてもらう ただ漠然とした考えから始めましたが, 98年にテレビ 新聞に ダムに沈む街として紹介され 全国から 大夕張出身者や報道で知った人も 北海道旅行の流れで立ち寄る人も多かったようです。
ダムの展望台にも もう一冊ノートを置いたのですが 2週間後には無くなっていました。
97年10月末に 旧神社に 約1メートル四方の手作りの黄色い旗を数枚設置,次の年,正月にズームイン朝 大夕張の紹介の最後に,自分の付けた旗が風に吹かれていたのが 感激でした。
99年も玄関に そのまま置き続けましたが,書いてくれる人も多かったが,イタズラ多く,途中で諦めてそのままに置いていたのですが,無くなったペンを補充してくれたり,イタズラをしないようにと書いてくれたりして,ページが破かれて書いてくれた数は減りましたが,ノートは残りました。98年11月に校舎が解体されることもあり,また,自分は原付スクーターで通っているので,冬はいけないので,解体前に一端ノートは引き揚げそして,2000年,99年はイタズラが多かったので,もうノートは置くのは止めよう,置く場所も無い感じでしたので,しかし,もう一度だけ駄目で元々記念碑の土台の上に置きましたが,屋根が無いので,何時もぬれていました。そういう濡れた時も,乾かしてくれた人もいました。このノートにも協力してくれる人も出て来てくれて,大変助かりました。


2000年 4月30日 
原付きデブマン

今年はノートを置かないつもりでしたが,2000年ということもあり,どうなるかわかりませんが,しばらく置いてみたいと思いました。
KMさんはくるでしょうか。昨年は11月14日に来るつもりでしたが,バイクが駄目になり,来れず残念でした。
小学校は無くなり,グランドはドロドロ。旧神社に2枚の旗を付けてきた。古い旗はボロボロでしたが,そのまま付けて来ました。神社までの道はまだ雪が残り,雪の無いところはドロドロで靴も泥だらけでした。


2000年5月4日 
マルチャン
デブマンさん,初めまして。私はS55年度小学校卒業のマルチャンです。デブマンさんはだれですか?ちょっと気になりました。ここに8年ぶりに来てみるとまわりには何もなく,少し淋しい思いをしました。今では自分が住んでいたところもわからない程です。
でも夕張岳はとても奇麗でした。天気が良くてよかったと思います。雨など降っていたら,このノートにも気付きませんでした。
よかったら今度メールでも送ってください。

hirokik2@mail.goo.ne.jp まで


2000年5月6日
d.mon@pdx.ne.jp
デブマンさん来たんですか。自分は4月中くらいに2回来ました。まだ雪が積もって,ここらへんもうもれていたけど,ここにノートを置くとは。だれもイタズラなどしないでください。昨年の小学校の解体中の写真をなるべく早く送ります。もう少し待っててください。またデブマンさんに会いたいです。
風が強かったので小学校のレンガを上に置いて飛ばないようにしておきました。

「ノートを入れた箱が軽いので,重石のかわりにレンガでとばないようにしてくれました。」「写真も後日届きました」MKさん。


2000年5月13日 
竹  平
久しぶりに来ましたが,建物が無くなって残念です。気がありましたらよってみます。


2000年5月16日 
不   詳
私は毎年大夕張へ山菜採りにきます。


2000年5月18日
豆腐屋さん
久しぶりに夕張を見に来ました。
私はS41年生まれで鹿島小学校には1年生までいました。何年ぶりかに来てみると,ほとんど家も無くなり少し淋しいです。これからもっともっと建物が無くなっていくのかなあー。
今度は父母も連れて来たいと思います。S49年までやっていた豆腐屋でした。


2000年5月21日
原付デブマン
もう来ないと思っていましたが,しばらくぶりでした。
学校の解体には来れないで残念でしたが,今年も来ようと思います。4月30日に来たときはグランドはヌカリ,今日は桜の花も咲き,寒くはないですが,来てよかったです。最近,土,日曜日は天気が悪く,中々予定通り来れません。
MKさん,レンガありがとう。どこかでロープでと思ったのですが,適当な場所がなくてね。
会うことがありましたら会いましょう。
今日も神社に旗を付けました。ダンゴ3兄弟のプリントの旗です。そのうち手紙でも出します。


2000年5月21日 
不  詳
はじめまして。私はドライブの途中で立ち寄っただけでこちらの学校の卒業生とかではありませんが,母校が無くなるというのは淋しいですね。この辺はもともと炭砿か何かで栄えたんでしょうが,国道をはさんで向側には古い建物があって,昔,住宅街だったような跡あったんで。


2000年6月5日
橋本弦己  渡部勇樹
魚つりに行った。何も釣れなかった。


2000年6月10日
不  詳
鹿島小学校がついに消えてしまったのですね。卒業生としても淋しい限りです。今はグランドから見る夕張岳が昔の姿のままですネ。私の原点である大夕張はいつでも心の中に残るでしょう。永遠に。


2000年6月18日
原付デブマン
最近,日曜日は天気が悪くて中々これません。神社の旗も風に乗ってきたようです。小学校もなくなり,くる人も少ない感じがします。今日は天気が良いので気分が良い。MKさんは仕事が忙しいようであまりきていないようです。


2000年6月26日
大野光男 東京より
メールください。mitu@zephyr.dti.ne.jp 結婚式。大夕張にきました。昭和48年閉山して東京に行きました。おじさんに名前忘れられました。

石井 幸一
昭和51年5月に虻田に行きました。有珠山の爆発に2回も経験しました。あと3キロで100キロです。ガールフレンド捜してます。


2000年7月1日 
M K am 6:27
周りは緑でいっぱい。3度目の夏です。中々これなくて早朝来ました。雨降りで残念ですけれど,一回りして帰ります。


2000年7月2日 
原付デブマン
MKさん,昨日来ていたのですね。南大夕張のラッセル車の写真送りました。ラッセル車も客車もすっかり荒れてしまい残念な気がします。昔大夕張に住んでいた頃冬には何度もラッセル車が動いているのをみましたが,今はもう動いている姿は見ることはできません。


2000年7月2日 
九州の佐賀より
42年ぶりにきました。何もないのが残念です。


2000年7月4日 
斎藤京子
何も無くなりましたね。淋しいですね。


2000年7月7日
苫小牧 北沢雅樹 はるか
小学校3年まで大夕張にいました。グランドの木は変わってませんでした。先日結婚しました。今度はBabyを連れてきます。


2000年7月9日 
増川 祐幸  昭和40年卒
3月に来た時には学校が無くなっていたので,がっかりしましたがまた来ました。そしてノートを発見しました。多分前回までの分も残っていると思います。少し安心しました。どなたかわかりませんが,ありがとうございます。大切にとっておいてください。また,来ます。
原付デブマンさんへ


2000年7月19日 
9790名の一人 吉田秀一
何も無くなってしまい何も言えません。この前来たときは学校はありました。


2000年7月20日 
原付デブマン
最近,MKさんは来てないようですね。7月2日に来たとき,旧大夕張駅跡にフクロウの幼鳥が死んでいたのを思い出し,ここに住んでいた頃はフクロウなど見ることもなかったのに,カラスかとびにでも襲われたのでしょう。


2000年7月28日 
S  A   51歳男性
キリ助の首が折れていて可哀想。娘と息子を連れてきた。空は何処までも澄んで,山は緑。空気が奇麗です。目の前の校舎が突然消えてしまったようです。蝶やトンボがいつもより愛らしく感じます。


2000年7月30日 
原付きデブマン
今日は午前中,天気が悪かったので,帰りは雨かと思ったが,大夕張についたら上天気である。
最近MKさんは来てないようだ。仕事が忙しいのかね?昨年はこのノートはイタズラが多かったが,今年はイタズラも無いが書く人も少ない。昨年は小学校の玄関に置いたので,多少は目に入ったが,今の場所は目立たないかも知れない。しかし目立ってイタズラされるのも腹が立つ。目立たない方が良いのかもしれない。


2000年8月13日 
斎藤 敏幸  2000
昨夜ふれあいに泊まりました。インターネット『ふるさと大夕張』の交流会を泊り込みでやって来たところです。これからもイタヤカエデの木と一緒に大夕張を見守ってください。

飯田 雅人
真夏の大夕張  緑の中で吹く風は  少年時代に感じた
どこか 懐かしく 落ち着く

中島 早苗  12:20
来たよー。はるばる栃木県から。大好き 大夕張 私たちの故郷
建物がなくなっても,緑一色に変わっても,そんなの気にしない。 「本当はウルウル 涙」
またくるよぉ 必ず  ここに夕張岳がある限り。。

佐々木広行 
2年ぶりの大夕張。愛知県岡崎市から来ました。

石崎 裕 
石崎裕です。またナ。


2000年8月13日 
原付きデブマン
大夕張に着くと誰かが呼ぶ。誰を呼んでいるのかわからないが,自分を呼んでいる感じなので,近くに行くと,焼肉をしていた。何か話をしていると同級生が二人混じっていた。一人は中学3年の時,同じクラスの女性だった。確かに見覚えのある顔であった。自分は中学を卒業してからクラス会,同窓会等にでたこともなく,同級生といっても町ですれ違ってもほとんどわからない人も多くなり,隣のクラスだった三浦さんも名前を聞いて思い出した。蛯沢さんは中学の時の面影は残っていました。ビールをご馳走になり,暑い日だったので,美味しかったです。ちょうど98年,99年の思い出ノートを記念にと思い,皆さんで読んでくださいという感じで進呈しました。後にインターネットに出してくれるということでした。大夕張出身者に見てもらえればと思います。


2000年8月14日 
小林 博子   栃木県下都賀郡 
家族4人,新しい家族2人,6人で懐かしい大夕張へ来ました。2年に来たときは東小もありました。今日来てみて何も無く淋しい思いです。 旧栄町3丁目8番 白石博子


2000年8月14日 
S56年卒業 高橋先生のクラス
約1年ぶりにきました。グランドのこの大きな木と夕張岳,歩道橋,他は何も残ってないのが,とてもさびしいです。小学校でイタズラをしたり,喧嘩したり,真夏夜空を流れる天の河を見て感動した日の事。フォークダンスの夜,すべて過去のものとなってしまいました。同級生の方で私に心当たりのある方メールください。

junichi.aikci@hotmail.com

いたずらはやめましょう。


2000年8月16日 
奈良市  小倉 信一
奈良からきました。私は東小学校でしたので,ここにはあまり来た記憶がないですが,書かせていただきました。本当に何も無くなってしまいましたね。でも,何も無いところでも沈むまで何度でも来ます。


2000年8月20日 
原付きデブマン
先週も来て,先週はたまたま同級生の仲間達が焼肉をしていて,ビールを一本飲ませてもらい美味しかった。昨年横浜からタンクローリーの運転手の仕事をしているという年配のおじさんがノートに思い出を書いてくれて98年,99年のコピーしたノートを送ってあげたらたいした感動して今年も来たいと電話で言っていたが,今年は来たのでしょうかね。

 昔 栄えし
 炭砿の街 原始に帰り
 ヤマ
 夢 夢 夢
 人無き声のモガリ笛

 モガリ笛 電線や木の枝等に風を切る音 ピューヒュ−   駄作でした。


2000年8月27日
M K
デブマンさん元気ですか。久しぶりに来ました。昨年の小学校の解体の時の写真を持ってきたのですが,今日あえなかったら送ります。もう秋ですね。周りはトンボとカラスでいっぱい。これから大夕張は奇麗になりますね。


2000年9月3日 
1953 2 24生まれ Hiroです
今日もBBQできました。デブマンさん何時もノートありがとう。また紅葉の頃にきます。HPの仲間とここで会いました。いつ来ても良い場所です。
Yukihiro Miura


2000年9月4日 
酒 井
札幌にて同窓会あり。友人3人と一緒に来てノートを見つけました。以前いただいたコピー本当にありがとう。一度電話ください。


2000年9月23日 
原付きデブマン
神社の旗のロープが切れていた。何か作業をした後のようです。新しい旗,熊出没の のれんをつけました。歩道橋が無くなっていました。

 昔 炭砿の賑わい 夢の跡
 今 紅葉のざわめき 無き人の囁き?
 紅葉の炭砿に響くは モミジ「鹿」の声 寂しく・・・・・

   炭砿「やま」      駄作


2000年10月1日
M K
ノートが復活しました。ほとんどずぶぬれでどうなるかわからなかったけど,何とか乾かしてもって来ました。今まで書いてくれた人のが駄目にならないでよかったです。これからはビニールの袋に入れておきますのでよろしくお願いいたします。
来た時に歩道橋が無くなっていてがっかり。ここに来たら学校の門が有りびっくり。町の入り口にあるキリ助も何とかこっちへ持って来て直してあげたいです。保存会の方,ふるさと交流会の方,何とかならないでしょうか?


2000年10月9日 
砂 川
年に何度か大夕張の変化を撮りに訪れますが,校舎前にあったノートの入れ物を見た時にはびっくりしました。雨対策もされてこのノートは幸せ者だ。ダムに没してもこの位置は残るらしいので,いつまでもこのノートはあって欲しい。


2000年10月16日 
不 詳
久しぶりに来て,何も無いのにがっかりした。


2000年10月22日 
不 詳
来るたびに何も無くなっています。本当に寂しいです。せめて大夕張という名前だけでも残してもらいたいです。


2000年10月22日 
原付きデブマン
最近天気が悪いので,バイクではなかなかこれません。先週は焼肉パーティだったようですね。天気がイマイチなので先週はこれませんでした。先週は午後から雨でしたのでね。今日は雲が多く,アラレが少し落ちて来ました。今年の紅葉は良くないですね。神社の旗のロープがダラーンとなっているようですが,道が泥で長靴でないと駄目です。来週来れたら直したいと思います。このノートはいったん別のノートと交換して新しいノートを冬期間も置いたままにします。これから路面凍結のため,バイクでは無理になってきますので,また20世紀の最期は誰が,20世紀の最初は誰が書き記すのでしょうね。一冬無事で残って欲しいです。


2000年10月29日 
原付きデブマン
先週で今年最後と思ったが,来ることができました。神社の旗のロープがゆるんでいた。誰かが旗同士結ばれていた旗の位置が悪いので,街や夕張岳が見ずらいのでしょう。ロープもほとんど痛んでいたので補強した。たぶん春まではイタズラが無い限り,切れないと思う。バイクで神社まで上がろうと思ったが,道が悪いので,コケた。上がり切れなかった。バイクのオイルタンクのふたが無い。昨日オイルを入れた時,ふたをはずしたままだった。コケた時,オイルが流れてベトベトになって気づいた。帰りにスタンドでふたのかわりをふたしないとオイルが濡れてエンジンが札幌までもたないかもしれない。とんだ失敗だ。
大夕張も今年は今日で最後になるでしょう。ノートは先週交換したので,このまま置いたままにします。
来年にはどうなることやら。


あとがき

今年で3年目の思い出ノートも今年はどうしようと思いました。昨年まで小学校の玄関に置き,雨・風にあたらない場所でしたが,学校が解体された今年からは置く場所が見つからず,結局記念碑の土台ぐらいしか思い当たらず,また,昨年イタズラが多くてせっかく書いてくれた部分がやぶかれてしまい,駄目で元々,もしイタズラが多い場合は中止するつもりでしたが,今年は何かと協力してくれる人も,熱心に協力してくれ,続けることができました。MKさん,ふるさと会の皆さん,ご協力に感謝いたします。今回は10月22日にノートを交換いたしましたが,別のノートは引き継いで置いて,そのまま来年まで続けたいと思います。
今年は思い出ノートに書いてくれる人は少なかったかんじです。98年はテレビ,新聞でダムに沈む町として紹介されて書いてくれる人も多かったのですが,ノートの置き場所も悪かったかもしれません。ノートに関してはイタズラも無く,雨に濡れてもわざわざ乾かしてくれて大変ありがたかったです。
ただし,神社の旗は何度も外されロープもイタズラというか旗の位置が悪いのでしょう,旗が邪魔で神社からの風景が見られないという感じなのでしょう。10月に旗を横にずらして以前よりはよく見えると思います。

平成12年 4月30日  開始  思い出ノート 2000
平成12年10月22日 撤収 別のノートと交換

今もノートは記念碑の土台に置いてあります。
神社の旗も10月29日にロープを補強してつけたまま風に吹かれているはずです。イタズラの無い限り。

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