「もう一度・あの海で」    夕 輝  文 敏

作者紹介 : 昭和47年まで大夕張で暮らす。


〜メール〜

 「あの海で、20年振りに、俺たちの同窓会をやろう。7月28日、有珠の海で待っている。  リョウジ」
 私は、メールを読みながら「有珠の海、リョウジ」と繰返していた。
 そして、ウイスキーのグラスを手に取ると、もう一度「有珠の海、リョウジ」と繰返した。
 「あの、橋本良治が、生きていた...」私は大きな声でそう言うと、グラスのウイスキーを一気に飲み干した。
 橋本良治は、高校時代の友人であった。高校2年生のとき、私たちの父親が勤めていた炭鉱が閉山になってしまった。閉山後親たちは仕事を求め夕張を離れたが、私たちは卒業するまで夕張に残ることになった。
 私たちは、炭鉱の宿泊施設を改造した学生寮から通学することになった。親元を離れて生活しているうちに、私たちの仲間意識は強いものとなっていた。その中心的存在がリョウジであった。
 リョウジは、高3の夏休みの終わりに突然学校を辞め、私たちの前から姿を消してしまった。それからのリョウジの消息は親も含め誰も知らなかった。それどころか、何年か前のクラス会では「リョウジは死んだらしい」という話さえ出ていた。
 私は、英夫に電話した。リョウジからのメールのことを話そうとすると、英夫のほうから
 「雄一、今日、リョウジからメールが来ていたんだ。7月28日にあの有珠の海で待っているって」と言ってきた。
 高校3年生の夏休み、私たち5人は有珠へキャンプへ行った。山育ちの私たちにとっては、海でキャンプするのは初めてであった。
 「英夫、どうする。有珠へ行くのか」と私が尋ねると
 「うん、どうしようかな...」と英夫は電話の向こうでためらっていた。
 「俺は、このメールが本当にリョウジからだったら、行くことにする。それにあの時の仲間で集まれることなんて、そんなにないしなあ。だから英夫も予定空けておいてくれよ。なあ...」私は念を押すように言った。
 リョウジは、あのときの仲間全員に、同じ文面でメールか葉書を出していた。はじめは、いたずらかもしれないと思ったりもしていたが、全員に連絡をよこしたのだから、私たちはリョウジに違いないと確信していた。
 こうして、私たちは7月28日に20年振りに有珠の海に集まることになった。

〜心の高ぶり〜

 私は、新千歳空港で神戸からやって来た朋子と待ち合わせると、車で有珠へと向った。はじめの頃は、渋っていた仲間たちも7月28日が近づくにしたがい、頻繁に連絡を取合い、気持ちの高まりを隠せないほどになっていた。
 「全く、リョウジはやってくれるわね。20年振りに音信があったと思ったら、人の都合も聞かず、有珠の海で待っているなんて...」
 朋子はそう言った後笑い出した。
 私も笑いながら「本当だよな。何の連絡もないし、やっぱり死んでしまったのかと思っていたら、7月28日に有珠で待っているなんて...」と言った。
 「この20年、どこで何をやっていたんだろうね...。誰にも連絡もせず...」
 「俺、今でもリョウジが学校辞めた日のこと覚えている。誰にも相談せず、勝手に全部決めてしまったもんな...」
 あの頃、私たち5人はいつも群れていた。その中心にリョウジがいた。親たちが町を離れた後も、私たちは寮生活を送っていた。
 はじめの頃は、不安よりも親元を離れて生活できる開放感のほうが大きかった。だが、毎日のように在校生が転校していくと不安になってきた。
 授業中、教室の窓からは、沢山のトラックが荷物を積み走り去って行くのが、毎日のように見られた。ある日、普段の倍以上ものトラックが道路を走って行くと、先生も生徒たちも窓から目を離すことができず、授業が中断してしまったことがあった。
 そんな不安定さをかかえた当時の生活の中で、私たちはいつのまにか新しい家族になっていた。私たちの絆はいつまでも続くものと思っていた。だが、リョウジは高3の夏休み最後の日に、退学届を学校の郵便受けに入れると、閉山で疲弊しきった町を出て行った。
 あの日は台風が通過し朝から激しい雨が降っていた。夜になりリョウジが消えたことに気づいたとき、私たちは何かの間違いではないかと思っていた。
 「私もあの日のこと一生忘れないわ。まさか、リョウジがあんな形で私たちの前から消えるなんて思ってもみなかったも...」
 「俺もこの20年、あの頃を思い出すと、必ずリョウジのことを考えていた。あいつが何故、あの夏に急に学校を辞め、町を出て行ったのか...」
 「そうだよね。原因なんてわからないし」朋子もそう言った。

〜再  会〜

 それから1時間ほどして私たちは有珠の海水浴場に到着した。駐車場は夏休みに入ったこともあり混み合っていた。
 「有珠の海たって、リョウジどこにいるのかしら」
 朋子は車を降りるなり言った。
 「岩だよ、テントを張った場所に大きな岩があったろう。あの岩だよ」
 「だってあれから20年も経っているのよ。岩だってあのままあるのかどうか」
 「大丈夫、去年室蘭での仕事の帰りにここに来てみたんだ。そのとき、あの岩探しておいたから」
 去年の秋、私は仕事で1週間ほど室蘭に来ていた。札幌へ帰る途中、急に有珠の海が見たくなり、ここへ来たときがあった。季節はずれの海水浴場は、人影もなく、どこか祭りの後のような淋しさが漂っていた。
 私は、リョウジたちとキャンプをしたあの夏の日を思い出していた。あの頃、私たちは相手のことは何でも知っているつもりであった。まだ、将来のことも、人生のことも何も見えていなかったが、皆と一緒にいるだけで心が満たされていた。あんなに誰かと心が繋がっていたことはなかった。
 私にとって、あの夏の日は20年前の思いでではなく、今という時間のすぐ隣にいるもう一つの現実であった。
 砂浜では学生たちが遊んでいた。私は、朋子とあの岩へ向って歩き出した。
 「リョウジ、昔のままかな」
 私は歩きながら朋子に言った。
 「リョウジ、結婚して子供もいるのかしら...」
 朋子はあの頃リョウジが好きだった。だが、気持ちを伝える前に、リョウジは皆の前から消えてしまった。
 しばらくして、私と朋子は立ち止まった。そして顔を見合わせた。
 あの岩の同じ場所には、真新しいテントが2張張られていた。
 「まさか...」と朋子がつぶやいた。
 「きっと、リョウジだよ」私は朋子に言った。
 そして、私は「リョウジ」と叫びながら、テントに向かい走り出した。
 テントからはリョウジが出てきて、私たちの姿を見つけると、同じように叫びながら手を振っていた。
 「勇一、朋子、良く来てくれたなあ...」

〜20年後の花火〜

 その夜、私たちは20年振りに有珠の海で再会した。リョウジ、英夫、朋子、陽子そして私と5人が揃った。
テントなどは全てリョウジが用意をしてくれた。それどころか、食べ物から飲み物までもリョウジが手配してくれていた。
 「リョウジ、何から何まで全部用意させて、悪かったな」と英夫が言った。
 「なんも。俺こそ皆にこうして集まってもらって...。俺、本当にうれしいよ。ありがとう...」
 そう言いながらリョウジは皆に頭を下げた。
 私たちは、それぞれのグラスにビールを注ぐと乾杯をした。その後、あの頃のように、皆で焼肉をつっつきながら輪になって座っていた。
 はじめのうちは、それぞれが当たり障りのない話題について話をしていた。ところが、朋子が遂に口火を切った。
 「リョウジ、あんたどうじて急に学校止めて、皆の前から黙って消えたのよ。私、いや私たちこの20年間、そのことばかり考えさせられてきたんだから」
 「そうよ。リョウジ、今日はこうして皆で集まったんだから、ちゃんと説明しなさいよ」陽子もリョウジに詰め寄った。
 それまでの和やかさが、一瞬にして消えてしまった。皆がリョウジが何を話すのかを注目していた。
 でも、リョウジは黙って炭火を見ているだけで、何も言葉を出さなかった。
 そんなリョウジを見かねて私は言った。
 「まあ、まあ、そんなに何もかも問い詰めなくても。こうしてリョウジも生きていたんだから、なあ、朋子、陽子...」
 「だめよ。ちゃんと話してくれなくちゃ。だって、あの頃私たち、家族だったんだから」
 リョウジは陽子が言った「家族」という言葉に敏感に反応した。リョウジの口からやっと言葉が出た。
 「俺、そのことを皆にちゃんと話そうと思って、ここに来てもらったんだ。だけど、今日でなく、明日の晩にしてもらえないか。なあ、たのむよ、朋子、陽子...」
 「リョウジ、あんなメール一つで、俺達が、今日ここに来るなんて本気で考えていたのか」英夫にしてはめずらしく真剣に言った。
 「俺、色んなことがあって、今まで皆に連絡しなかったけど、それでも、皆は必ず来てくれると思っていた。あれから、随分時間は過ぎてしまったけど、俺達のあの友情はいつまでも続くものだと信じていた。俺、皆に会えなかった分、あのときのままの気持ちでずっと皆のこと思っていたから...」
 私は今リョウジが言った友情という言葉に心が動かされていた。私は、この20年、リョウジはとうにあの頃のことは忘れ去ったものだと決め込んでいた。
 なのに、今リョウジの口からは「あの頃の俺達の友情」という言葉が自然に語られていた。30代後半になって、これほど熱く「友情」を口にすることができるなんて。
 私たち4人は、リョウジのこの言葉を聞いた瞬間、私たちを長い間隔てていた時間の壁が崩れて行くのを感じていた。
 その夜、私たちは20年前と同じように、浜辺で花火を打上げた。この20年という時の流れを一瞬の閃光により埋めるかのように、私たちは花火に夢中になった。

〜水平線〜

 翌朝、10時頃目を覚ましテントから出てみると、リョウジと朋子が海辺で遊んでいた。空は晴れ渡りとても気持ちの良い朝であった。
 私は二人の背後に静かに近づくと
 「こらっ」と叫んで驚かした。
 二人ともびっくりすると、同時に私に海水を浴びせてきた。
 「おい、よせよ。着替持ってきてないんだから」と私が言うと
 「何言ってるのよ。おはようの挨拶も忘れ、人を脅かすなんて」と朋子がやり込めてきた。
 その後、私たち3人は砂浜に座り込み波の音を聞きながら、遠くの船を見ていた。こうしてリョウジと一緒に船を見ているなんて、私は不思議な気持ちになってきた。それでいて、心はとても満たされていた。
 しばらくして陽子がやって来ると
 「ねえ、皆でボートに乗らない」と言った。
 するとリョウジも
 「そりゃいいなあ。英夫も呼んできて一緒にボートに乗ろう」と弾んだ声で言った。
 私たちは、二艘のボートに分けて乗った。リョウジは朋子と英夫と一緒に、私は陽子と二人でボートに乗った。
 二艘は、並んで少し沖まで出た。多少波が出てくると、二艘は離れてしまた。
 私は、リョウジたちを見ていると、あの夏に帰ってきたような気持ちになっていた。今、私たちを照らしているこの陽射しは、あのときの陽射しなのかもしれない。私たちの目の前で、時空が崩れていく。
 そのとき、陽子が遠くの水平線を見つめながら言った。
 「雄一、この5人の中でリョウジが一番昔のままかもしれない。昨夜リョウジの話聞きながらそう思ったの。(俺たちの友情はいつまでも続くと信じていた)って聞いたとき私、ドッキとしたわ。だってあんな台詞、自然に言えないもの」
 「俺も昨夜は同じことを考えていた。この歳になって友情なんて口にすることなかったものなあ」
 「雄一、見てごらん、リョウジのあの笑顔。本当に皆に会えてうれしいのね。私、昨夜悪いことしたような気がするわ。20年前、リョウジにはちゃんとした訳があったのよ。今、私そんな気がするの...」
 「俺もそんな気がする。それに、リョウジのお陰でまた俺たち家族になれたような気がするんだ」
 私と陽子はリョウジたちのボートを見ながらそんな話をしていた。

〜 夕 陽 〜

 私たちは、一日中遊びまわり、夕方テントで休んでいた。昨夜の寝不足もあり、皆寝息を立て熟睡していた。どのくらい時間が過ぎた頃だろうか、リョウジの声で目を覚ました。
 リョウジはテントの入り口を開けると
 「おい、皆起きろよ。夕陽だよ、夕陽が見えるんだよ」と言った。
 「夕陽...あっそうだ。あのとき初めて海に沈む夕陽を見たんだっけ...」
 私は、リョウジが言った「夕陽」の意味を思い出した。私たちは周囲を山に囲まれた炭鉱町で暮らしていた。だから朝日も夕陽も山から登り山に沈むのしか見たことがなかった。
 あの夏休み、私たちは初めて海に沈む夕陽を見ることができた。山に沈む夕陽に比べ海で見る夕陽は大きなものであった。そして何より驚いたのは、浜辺を歩いていると夕陽も私たちの真横についてくることであった。そして、走り出しても夕陽は私たちから離れることはなかった。
 私たちはテントから出て、浜辺にたたずんでいた。誰もが「夕陽」の持つ意味を理解していた。
 「よーし、皆で少し、走ってみるか」と英夫は言うと先頭を切って走り出した。
 私たちも英夫に続いて走り出した。近くでキャンプをしている人たちは、5人ものいい大人たちが走っているのをものめずらしそうに見ていた。
 私たちはしばらく走ると、砂浜に崩れるように立ち止まった。
 「こんなに走るなんて、久し振りだな。俺たちまだまだ若いじゃないか」と私が言うと
 「私なんて、息が切れそうで...夕陽、あのときと同じだったね」と朋子も言った。
 「何だか、あれから20年もたったなんて、ウソみたいだなあ」英夫も息を切らしながら言った。
 ちょうどそのとき、私たちの目の前で、夕陽は水平線に沈みかけていた。夕陽は一段と大きくなり空を赤く染めていた。
 「この真っ赤な色、懐かしいなあ」とリョウジが言った。
 「何かの本に書いてあったんだけど、人生の目的は前世で別れた家族、恋人と会うためにあるという人がいるの。私ここに来て、私たちもそうなんだと思ったの」と陽子が言った。
 「そうかもしれないな、俺たちもこうして20年振りに会うことができたんだから」と私も言った。
 この水平線の赤い輝きは、20年前と何も変わっていないのだろう。私たちにとって、この20年は決して平坦で、短い道程ではなかった。
 だが、有珠の海にとっては自然のみが持つ悠久なる時間の流れの一部にしか過ぎず、20年前私たちがここで過ごした時間などは、ほんの一瞬の束の間の出来事であったのかもしれない。
 私たちは、真っ赤に染まった水平線をそれぞれの想いを抱きながら見つめ、辺りが暗くなるまで浜辺にたたずんでいた。

〜理由(わけ)〜

 その夜も私たちは炭火を囲んでグラスを傾けていた。たった1日しか経っていないのに、私たちは昔に帰っていた。昨夜のように、リョウジに対する緊張した雰囲気も消え去っていた。
 そんな和やかさの中、英夫が言った。
 「こうして集まったんだから、皆で近況報告会をやろうよ」
 「そうだなあ、改まってやるのも照れるけど、それもいいな」と私も賛成した。
 陽子も朋子もリョウジも賛成した。
 「それじゃ、レデイファストで朋子から頼むよ」と英夫が言った。
 「えっ、私から、そうね...」
 「朋子、もったいぶるなよ。それとも俺たちに言えない過去でもあるのかよ」と私はひやかした。
 「ないわよ。そんなの...。それでは、えーと、私は卒業してから、半年ぐらい札幌で働いていたんだけど、途中で親兄弟が引っ越して行った神戸へ行きました。そこで、昼は働きながら夜は看護学校で勉強して、何とか正看の資格を取って、今も現役の看護婦をしています。いつも仕事辞めたいと口癖のように言ってますが、いつのまにか古株でお局様と呼ばれるようになりました。26のときに結婚して、息子が2人います。まあ、とりたてて言うほどのドラマチックな過去もなく、平凡な道を歩んでいる今日この頃です。こうしてリョウジとか皆に会えて本当に良かったと思っています。以上」
 「はい。次は陽子」
 「えー、私は朋子と違って少しだけ色々ありました。昔のこととはいえ、息子の出産に関しては、皆さんに大変なご心配をおかけしました。お蔭様で正明も来年で二十歳になります。正明は中学を卒業すると人形師になるため福岡へ行き、今も修行に励んでいます。最初は猛反対したのですが、今は好きな道に進めて良かったと思っています。私はまだ独身ですが息子も手を離れましたので、いい人はいないかと探しているところです。もし、皆さんに心当たりがあれば、是非紹介してください。それと、今日皆で夕陽を見たこと一生忘れません。以上です。」
 「陽子、本妻はだめだけど、愛人でよければ俺考えてもいいぞ。なんせ、あのときもう少しで俺が陽子の相手にされるところだったんだからな」私は冷やかしながら陽子に言った。
「はい、静かに。次は雄一。ところで雄一、陽子とのことはそろそろ白状したらどうだ」英夫までが私をからかって言った。
 「そうだな、その節は陽子のことでお騒がせしました。何てことは嘘です。えーと、俺も少し色々あったけど、2年前に再婚しました。1歳の娘が一人いますが、一緒に風呂に入るのが一番幸せなときです。毎朝家を出るときにチュをしてもらうと、どんな疲れも飛んでしまいます。。そんな訳で、マイホーム・パパにどっぷり漬かっています。まあ、やっと家庭人としても落ち着いて、地道に生きている次第です。リョウジからメールが届いたときは、皆も同じだろうけど驚きました。でも、リョウジが生きているってわかっただけでもうれしかったなあ。何かこの2日間で、俺たちの宝物を掘り起こせたような気持ちになっています。まあ、そんなところかな。次は、玉の輿に乗った英夫の番といくか」
 「え−、人もうらやむ玉の輿に乗った英夫です。俺は25のとき、ひょんなことから小金持ちの一人娘とつきあい、孕ましたついでに結婚しました。人は玉の輿と言いますが、色々と気を使い結構大変です。でも最近は女房の尻にしかれ、女房の実家にしきられるのも息子共々将来の保証もありそれなりにまいいかとも思っています。夕方久し振りに浜辺を走って気持ちが良かったです。考えてみたら今年になって一番一生懸命何かに打込んだのは今日のランニングです。相変わらずいいかげんな人間ですが、皆との友情だけはいつまでも大切にしたいと真面目に思っています。以上。えー、次はいよいよリョウジの番だな」
 「そうか、皆それなりに家族を持ち幸せに暮らしているんだ。良かったなあ。」リョウジはそう言うとグラスに入ったビールを一気に飲み干した。
 「20年前、俺は、親を捨てるために、学校を辞め、あの嵐の日に町を抜け出した」リョウジは低い声で、ハッキリとそう言った。
 リョウジの母親は、炭鉱町でも有名なほど教育熱心な親であった。リョウジには4つ年上の兄がいたが、兄は親の期待どおり二浪の末札幌の国立大学へ合格した。だが、その兄は私たちが高2の夏休みに海で溺死した。泥酔の状態で海へ入り死んでしまった。
 リョウジは続けて言った。
 「俺は、今までの人生で一番悲しかったことは兄貴の死だった。兄貴は4つ下の俺をいつも遊びに行くときも嫌な顔もせず連れていってくれた。俺も小さいときから兄貴が大好きだった。おやじもおふくろもいないのは我慢できたけど、兄貴の姿が見えないといつも探していた。だから、兄貴が死んだときは、本当にまいったなあ。俺は、兄貴は、おやじとおふくろに殺されたと今でも思っている。あんなに好きなギターも取り上げられ、二浪までさせられて...。本当はあそこまでして兄貴は大学へ行きたくなかったんだ。でも、優しすぎて親の敷いたレールから逃げることができなかったんだ。無理して生きて、そして飲めもしない酒飲んで海に入ってしまった。俺は、あのときから親を憎いと思った。そして、兄貴がいた頃は俺のことなんかかまいもしなかったのに、兄貴の変わりをさせようと急に夕張にいたらだめだから勝手に札幌の高校へ転校させようとしていたんだ。俺はそのとき決めたんだ。俺は絶対兄貴のようには操られないと。だから、俺は、自分自身を救うために、親を捨てるために、皆にも黙って消えてしまったんだ。ごめんな。一言も相談せずに...」
 私たちは、リョウジが親子問題でここまで追いつめられていたとは全く知らなかった。17歳のリョウジがここまで追いつめられるのは、やはり相当のことであったと思われた。
 「リョウジ、親に一度も連絡したことないの」と陽子が言った。
 「一度だけ、二十歳の誕生日の夜におふくろに電話したことがあったけど。でも(おまえは、家の恥だ)と言われ電話を切られてしまった。親も俺のことを捨てたのかもしれないとそのとき思ったなあ」
 「夕張を出てから、どうやって生きて来たんだ」と英夫が言うと
 「あれから、学校はどうしたの」と朋子も言った。
 「学校は、二十歳のときに、名古屋の定時制高校に入り直した。そして法律が勉強したくて、大学も何とか通信教育で卒業したよ。でも夕張を出てからどんな仕事をしてきたかはあまり話したくないな。ただ、17で世の中に飛び出したけど、身元保証してくれる大人は誰もいなかったし、あまりいい仕事にはつけなかった。でも今は、仙台で小さいながら、会社作って自分で何とかやっているんだ。それと、籍は入れてないけど、妻と呼べる人はいます。子供は残念ながらまだ授かりません。俺は、本当は、もっと早く皆に会いたかった。でも、皆に会うと、今まで意地張って生きて自分が崩れそうな気がして...。こうして、俺の呼びかけに応じて皆集まってくれて、本当にありがとう。」
 私たちは、17歳でたった一人で社会へ飛び出したリョウジをいたわりたい気持で一杯になってきた。
 この夜、私たちの友情は、再び固く結ばれた。

〜電 話〜

 あれから、私たちはメールのやり取りをしながら、ネットの向こうで親交を深めていった。パソコンを持っていなかった朋子と陽子も皆とラインを繋げるために、ヘソクリをはたいてデスクトップのパソコンを買った。
 毎日家族の顔を見るように、メールチェックをするのが日課になっていた。特に、陽子とは一日おきぐらいにメールの交換をしていた。リョウジは会社経営が忙しいらしく、一月ほどメールが途絶えることがあった。
 季節は再び夏を迎えていた。7月28日に私は皆にメールを出した。
 「あれから1年が過ぎ、また7月28日を迎えました。高校生のあの夏の日、20年後にこうしてメールで皆と繋がっているなんて、想像もできませんでした。これもリョウジのお陰です。ありがとう、リョウジ。秋口に皆の日程調整がつけば、今度は夕張で泊りがけで集まりませんか。特にリョウジは忙しそうだけど何とか調整してください。今回は僕が幹事を務めさせていただきます。」
 この後、英夫、陽子、朋子からは、すぐにメールが届いたが、リョウジからは何も連絡はなかった。私は、また会社が忙しいのだろうと思って気にもかけていなかった。
 夏も終わり秋風が吹きはじめた頃、仙台のリョウジの奥さんから電話があった。私は仕事から帰ってきてちょうど風呂に入っていたので、急いで服を着ると電話をかけ直した。
 「もしもし、札幌の森山ですが、先程は入浴中で失礼しました」
 「こちらこそ、夜分遅くすみませんでした。実は、急なことでしたが、主人は、7月28日に亡くなりました...」
 初めて聞くリョウジの奥さんの声であったが、奥さんは、一言、一言噛み締めるようにリョウジの死を伝えてくれた。
 リョウジは、7月28日に海で死んだ。会社主催の海の家で、大量に酒を飲んだ後、沖に向かい泳ぎ溺死したそうだ。奥さん宛てのメモが後日発見されたが「自分にもしものことがあれば、生命保険は会社の負債にまわして欲しい」と走り書きしてあったという。後で分かったことだが、リョウジの会社は負債が膨らみ身動きのできない状態であった。だが、警察の調べでは特に自殺をほのめかすものもなく、事故死ということになった。
 電話を切った後、私は呆然としていた。予想もしなかったことに、泣くでもなく、ただ呆然としていた。
 そんな私を見て、妻が「どうしたの」と言った。
 私は「リョウジが、死んだ...」と答えるのがやっとであった。

〜あの海で〜

 9月のある日、私たちは再び有珠の海に来ていた。そして、あの岩の前に立っていた。リョウジが生きていたなら、夕張に集まるところであったが、今はリョウジを偲び、もう一度あの海に来ていた。
 私はリョウジの死を陽子に知らせたとき
 「陽子、正明君の父親がリョウジだってこと、あいつに知らせたのか」と電話越しに聴いてみた。
 「雄一、知っていたの」
 「俺たち昔から皆そう思っていたよ。ただ、リョウジがあんな形で姿を消したものだから、誰も陽子に聞けなくて...」
 「そうなの、ずっと皆に気つかわしていたんだ。雄一、ありがとう。私も去年リョウジと会ってから、時間かけてそのうち話そうと思っていたんだけど...。とうとう言わないうちに、また一人で勝手に遠くへ行ってしまった...」
 陽子はそう言うと泣きじゃくっていた。私は、そのとき、陽子はずっとリョウジのことを好きだったのだと思った。
 季節外れの海には、人影もなく、波の音だけが響き渡っていた。
 「リョウジの奴、とうとう一人で行ってしまたな」私がそう言うと
 「リョウジはバカよ。酔っ払って海に入るなんて。いつも一人で勝手に決めてしまうんだから」陽子はそう言うと、声を上げて泣き出した。朋子も一緒に泣いていた。
 「7月28日に死ぬなんて、リョウジ何を考えていたんだろうな...」英夫がぽつりと言った。
 私は、リョウジは会社の負債を整理するために、自殺したのだと思っていた。リョウジは、いつもギリギリまで自分の背中に、荷物を背負い過ぎたのかもしれない。苦しかったら、もっと早く投げ出せば良かったのに。そんなどうしようもない純粋さが、いつもリョウジの人生の節目を支配していたのかもしれない。
 7月28日を選んだのは、偶然ではなく、リョウジの私たちに対する友情の証だと私は思っている。そして、リョウジは最後まで私たちと一番近い場所にいたかったのだとも。
 私たちは、持ってきた花束を岩の前に置き、酒の栓を抜くと砂浜に注いだ。そして、それぞれの想いを込め合掌し、リョウジと私たちの遥かなる青春に別れを告げた。