(昭和30年頃)
【850】
私が過ごした大夕張に850(はっぴゃくごじゅう)と呼ばれる山がありました。海抜850メートルの山だから850とよばれていると小さい頃から聞かされていました。しかし,私が過ごした15年の間にとうとうこの山に登ることはありませんでした。父や母,叔父など私より少し上の年代では小学校のスキー学習などでもよく登ったらしいのですが,昭和30年代後半から40年代前半の頃は,小学校でものぼったという記憶がありません。せいぜい理科の自然観察などで小学校の裏の沢を少し登ったというような記憶しかありません。
(98/03/22更新)
【みなさんの投稿から】(投稿してくださった方と写真に写っている人物とは関係はありません)
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(107)850の思い出 投稿者:斎藤敏幸 投稿日:1998年02月27日(金)17時58分42秒 850へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道をスキーで滑ります。その後は、だんだん急な上りになります。登り切ったあたりから、遠くに3本の大きな杉の木が見えてきます。その木の向こうに、850があったと思います。そこには、山小屋があり、一時期冬期間管理人のおじいさんがいたことを覚えています。山小屋には、大きな薪ストーブがありました。一度火事で焼失したことがありましたが、その後また山小屋が建てられました。多分、三菱の福利厚生施設ではなかったのかと思います。 昨年、大夕張を尋ねた時、スキー場のロープ塔はまだありましたが、850の山小屋は、今も老朽化しながらも、建っているのでしょうか。 この季節、子供とスキー場へ行くと、富士見町のロープ塔と850の山小屋を思い出します。 |
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(106)八百五十 投稿者:小笠原 憲 投稿日:1998年02月27日(金)16時47分10秒 お久しぶりです。 遠い昔の記憶によると(昭和35,6年)、八百五十は鹿島小の横の沢をどんどん登っていって、更に山に登って・・というようなところでした。 鹿島小の冬のスキー遠足は一日がかりでこの八百五十に行く、というものでした。 勿論、歩くスキー用の板なんかじゃありませんから、結構しんどかったですね。でも広いゲレンデらしきところにたどり着いて食べたおにぎりは美味しかったなあ。 ”はあーっぴゃくうごじゅううのお(あとは忘れました)”というような歌詞の音頭風の歌もあったように覚えています。 もうすぐ3月ですが、人のいない鹿島はまだ雪に埋もれているのでしょうね。 |
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