大夕張 年 表

        (簡略版)(詳細版)

(98/11/15)

簡略版と言うことで,できるだけ街の発展のあとがわかるような出来事を98年11月13日現在の詳細版よりピックアップしながら,適宜文章を短くし見易くなるようにつとめました。簡略版と言うことで,今後,新たにわかったことなど,追加,修正は詳細版の方で行っていきたいと思います。

西暦 年号 主 な 出 来 事







1635 寛永12 >松前藩が数年間にわたり夕張川上流で砂金の採集。
1893 明治31 >福山氏が石炭の採掘権を得て開礦する。
1906 明治39 >川崎繁美氏に権利が移る。
>京都合資会社が炭礦を買収し,「大夕炭礦福山礦」となる。
>石炭は馬鉄で清水沢へ運ぶ。
1909 明治42 > このころから大夕張と呼ばれるようになる。
1911 明治44 6月 清水沢−二股(南大夕張)間専用鉄道線完成。運転開始。  
1912 明治45 6月 三菱合資株式会社が資金を出し,大夕張炭坑株式会社の経営に参加。
1919 大正 8 >矢部理学博士,今井孝次郎博士が北部大夕張に石炭を発見する。
1926 大正15 6月 大夕張北部新鉱開発5ヵ年計画に着手。











1927 昭和 2 10月 大夕張鉄道北部延長工事の為,馬鉄が敷設される。
>指定商21名,7号の沢の緩傾斜地に入地。
1928 昭和 3 官行・富士見・栄・千年町ができる。
>火葬場(s23改築) 鹿島墓地ができる。
1929 昭和 4 6月 1日,南大夕張〜北部大夕張の間に,三菱礦業所専用鉄道が開通
12月 大夕張劇場開設(千年町)
緑町ができる。
大夕張山神社できる。(昭和24年大夕張神社と改称)
1930 昭和 5 10月 大夕張郵便局開設。
11月 南大夕張事業所廃止。労働者の大部分は北部大夕張へ移動。
代々木町できる。
>この年出炭量約29万トン。
1931 昭和 6 8月 協和会館完成。
1932 昭和 7 >清水沢〜大夕張間道路の建設計画が会社の賛成を得られず実現せず。
1933 昭和 8 4月 1日,三菱大夕張幼稚園,三菱大夕張病院横に開設。(園児82)
>宝沢に橋が架けられ,千年町と緑町が道路で結ばれる。
1935 昭和10 7月 千年町に電灯がつく。
1936 昭和11 弥生町ができる。
1938 昭和13 11月 大夕張発電所設置。
宝町ができる。
1939 昭和14 10月 朝鮮人労働者入山(117名)その後,中国人も入山。
錦町ができる。
1942 昭和17 11月 春日卸でガス爆発。死者4人,負傷者39人。
>京都から勤労挺身隊が入山。
1943 昭和18 7月 夕張市役所鹿島支所できる。
1944 昭和19 9月 北海道拓殖銀行夕張支店大夕張出張所開設。S25大夕張支店に昇格。
1945 昭和20 9月 中国人労務者ほう起。(当時の入山数 約3300名)鎮圧中警察官殉職。
10月 鹿島革新同志会結成。(大夕張炭礦労務組合の母体)
1946 昭和21 1月 三菱大夕張幼稚園栄町に園舎建設。
1947 昭和22 4月 鹿島小に鹿島中学校併置。
1948 昭和23 春日・常盤町ができる。
1949 昭和24 3月 明石町できる。
10月23日 鹿島中学校常盤町に校舎完成。
12月 岩手県出身北田氏他,有志で第一回裸まいり行われる。(駅前から神社へ)
1950 昭和25 4月 外地からの引き揚げ者を中心に奥鹿島の開拓始まる。
11月 千年町駅開業。
1951 昭和26 6月1日 鹿島東小学校開校。
10月 千年町〜明石町間の道路工事着手。明石と千年が陸路で結ばれる。
1953 昭和28 1月 鹿島南部分町問題 住民投票実施。(賛成6448,反対1338)
10月 市議会にて分町問題決着。(賛成12,反対13,白票6で否決)
1955 昭和30 7月 大夕張ダム建設工事始まる。
>夕張市立図書館鹿島分館できる。
1956 昭和31 9月 三菱美唄鉄道が山内線バスの運行を開始。
1957 昭和32 >大夕張ダム建設のため,協栄橋水没。代替えとして白金橋建設。
1959 昭和34 12月 メタノール工場操業開始。
1960 昭和35 7月 明石町の高台に夕張鹿島高校新築移転。
   小児マヒ流行。10名死亡。
10月 鹿島し尿処理場完成。(S55まで稼動)
11月 市立図書館鹿島分館新築。
>鹿島橋設置。
1962 昭和37 3月 大夕張ダム完成。シューパロ湖と名付けられる。
8月 清水沢〜鹿島間道路開通。(昭和23〜)
10月 7日,三菱鉱業バス,夕張バス,夕張−大夕張間に急行バス運行開始。
1964 昭和39 2月 児童会館できる。(栄町)
4月 私立夕張聖心幼稚園を富士見町に設立。(園長ジェームズ・オニール)
1965 昭和40 1月 夕張鹿島高等学校から夕張東高等学校へ改称。
12月 三菱バス札幌−大夕張運行開始。
1967 昭和42 4月 夕張第二聖心幼稚園を栄町に開設。(園児136人 園長ジェームス西牟田)
11月 突風のため白金橋落橋
1968 昭和43 >三菱大夕張礦坑道と南大夕張坑道と貫通。
>道々夕張−芦別線道路工事着工。
>鹿島小学校40周年記念。
1969 昭和44 >官行から鹿島北栄町に。他の町も鹿島○○町に町名変更。
>火葬場閉鎖
>NHK中継所が常盤町にできる。
1970 昭和45 6月 北海道拓殖銀行大夕張支店廃止。
9月 鹿島運動公園完成。
1971 昭和46 7月 東宝『新網走番外地』ロケ。高倉健の格闘シーンを撮影。
>秋,清水沢〜大夕張間全面舗装。
10月 大夕張メタノール工場閉鎖。
1973 昭和48 8月 三菱大夕張炭礦が閉山
12月 三菱大夕張鉄道(大夕張炭山〜南大夕張駅間9.6km)鉄道部分廃止
1974 昭和49 >イサオ製作所大夕張工場操業。(礦業所跡)
>単板加工会社大夕張ユニオン開業。(弥生町)
1977 昭和52 >ICA国際ボランティア鹿島で活動。(昭和55年までの3年間)
1978 昭和53 4月 鹿島東小学校閉校。 鹿島小学校と鹿島東小学校統合。
>第一回大夕張ふるさとまつりが行われる。
10月 鹿島中学校,鹿島小学校と併設。
1981 昭和56 >過疎化が進み人口2000人を割る。
8月 台風による大水で大夕張ダムがオーバーフロー。
1983 昭和58 3月 道立夕張東高校閉校
1985 昭和60 三菱南大夕張炭礦事故
1986 昭和61 >人口1000人を割る。
1987 昭和62 7月 三菱大夕張鉄道(清水沢〜南大夕張間7.6Km)全線廃止。この月末鹿島の人口794人。
10月 鹿島北栄町を通り,芦別へぬける道々夕張−芦別線開通。
1989 昭和64 三菱南大夕張炭礦閉山
1991 平成 3 >多目的ダム建設計画表面化。
1995 平成 7 >住民ダム建設条件付き賛成。
1997 平成 9 6月22日 鹿島小学校閉校式。
7月6日 鹿島解散式
11月30日 美鉄バス大夕張での運行廃止。
1998 平成10 3月末 大夕張郵便局閉鎖 夕鉄バス運行廃止。
10月末 夕張市役所鹿島出張所,鹿島駐在所閉鎖。

※夕張市史(S34年版),鹿島の歩み(鹿島小学校S43),夕張地名豆辞典(広報「ゆうばり」),鹿島小郷土室年表,大夕張「鹿島でくらした日々」,かしま(鹿島小学校閉校記念誌),岳風(夕張東高校閉校記念誌)などを中心に作成しました。資料の収集にあたり,関係の方々にはお世話になりました。ありがとうございました。


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