大夕張訪問記
初夏のふるさと  ・・・  成松泰彦 
miyabiさんより
 
 僕が初めて大夕張を訪ねたのは、98年の5月3日でした。
 その日フェリーから下船した僕は、小雨と霧に包まれた苫小牧を愛車で出発して、清水沢を通過したのは八時を少し過ぎた頃だったでしょうか。石勝線(夕張線)の踏切を渡った辺りから、道沿いには旧炭鉱住宅が現われ、公園を挟んだ先には炭鉱施設らしい廃墟が残されていて、浮かれていた僕の心は一気に冷めてしまいました。
 家々の煙突から出ている煙が、僕の知らない石炭産業が栄えていた時代の夕張の名残のようで、上手くは書けませんけれど「生活の匂い」とでも言うような感覚を感じたんです。あの煙全てが、この街に住む人達を温めたほのかな温もりが紛れていると思ったら、もうどうしようも有りません。僕は予定を変更して鹿島地区へ愛車を走らせました。
 その時はもう、住民の方は殆ど残っていませんでしたが、郵便局や商店。そしてアパート(名前が判りませんが)に隣接した車庫に残されていた廃車が印象的でした。

千葉の 渡辺です

もう20年も前になりますが友達が昔住んでいた大夕張へ千葉から
バイクツーリングでいきました。
当時はまだ住んでいる人は20名くらいはいたかと思います。食堂もありましたからもっといたかもしれません。
私は炭鉱とは全く関係ありませんがそのときのことが印象的で今年はぜひ行ってみようと思っています。
一時代を築いた大夕張どんな人たちがいたのかなー  
 

ユミちゃん

私が育ったのは大夕張の隣で南大夕張(南部)です。10年ぶりに帰ったら、町がなくなっていてショック…夕張岳は変わらなかった!それが救いです!

(2006/02/07(Tue))


埼玉県・K.M (k-yanai@plum.plala.or.jp)

17年の7月に家族と北海道旅行に行き、富良野から登別への道すがら大夕張に35年ぶりに行きました。
当時の面影は全く無くて、しばらく通り過ぎてしまいました。
私の目に焼き付いていた大夕張は、その場の現実で一瞬に打ち砕けました。
心の拠り所を失いましたが、このふるさと大夕張の中に私の心の大夕張がある事を感謝致します。

( 2006/06/09(Fri))

私は今年初めてパソコンを買って覚え少しメールを打てるようになり大夕張を見ました。
昭和45年鹿島中を卒業して子供を連れて初めて行った時は何もなく涙が出て止まりませんでした。
それからも何度か行きました。パソコンで大夕張を見てタイムスリップしています。
同級生は皆様バラバラで分かりません ー会いたいなー 
パソコンも苦戦して見ています。
由美子。
(2007/04/26)