(昭和30年代 / 藤田育雄さん提供) @@@画像をクリックすると拡大表示されます@@@
<藤田育雄さんのコメント>
色々な事して遊んだ想い出と、ブロックの裏に各家庭が皆さん畑を作っていました。洗濯の物干見て下さい。
栄町のブロック横。この写真の右手に富士見町から流れてくる沢の水の流れがあったでしょうか。今と違ってプロスポーツと言えば,プロレスとプロ野球。特に野球はバットとミットと軟式のゴム製のボールを持ち,友達と一緒になって各町内のちょっとした路地や空き地ですぐに野球が始まりました。野球というよりは,むしろバットとボールを使った遊びといってもよくそれはキャッチボールから,三角ベースまで,場所に応じてどんなところでも仲間がいればすぐに始まったものでした。
【みなさんの投稿から】
(361)タンポポの海 投稿者:斎藤 敏幸 投稿日:05月02日(日)22時53分22秒
北の国にも,やっと春が訪れてきました。ここ札幌でも,中の島周辺の公園でも 桜の花が開きはじめました。 毎年,この季節になると「タンポポの海」を思い出します。 当時,僕の住んでいた栄町ブロックの周辺には,木造長屋を取壊した跡地が幾つ もありました。特に栄町の詰所の辺りは,沢山の空き地がありました。 それらの空地には,春になると,確か5月1日のメーデーの頃には,タンポポが 一斉に黄色い花をつけるのです。辺り一面タンポポ達の見事な群生落なのです。 そこに風が吹くと,黄色い花達は,まるで海原で波を打つかのように揺れ出すの です。 いつしか僕の周りでは,この光景を「タンポポの海」と呼ぶようになりました。 学校への行き帰り僕達の春は,「タンポポの海」に包み込まれていました。 今では,当たり前のように自家用車を持ち,断熱材の住宅で冬の寒さを感じるこ ともなくなり,いつでも好きな時間に風呂につかることもでき,当時の生活に比 べ,はるかに快適な日常を手にいれることができました。 でもいつのまにか,季節の移ろいにも気づかず,時間に追われいつも足早に歩い ている自分が見えてくることがあります。 大夕張を出てからこの間失ったものは,故郷の原風景ばかりではないのかもしれ ません。 休日の日,大夕張のことを思い出しながら,もう一度自分の心の中に「タンポポ の海」を蘇らせてみたいと思ったりしています。
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