(昭和45年頃? / 鹿島小郷土室所蔵) @@@画像をクリックすると拡大表示されます@@@
【みなさんの投稿から】
(1326)宝町の図書館で 投稿者:丸山直記 投稿日:06月29日(金)09時32分25秒
お話しに出ていた宝町の図書館には私の記憶が正しければ 中学校の音楽の先生でした米谷先生の奥様が結婚前に司書を されてましたね。 米谷先生は、みなさんもご存じかと思いますが札幌の白石東高校で 吹奏楽を指導されすばらしい業績をあげられました。 退職される前はよく東京に大会でいらっしゃり教え子たちが集まり 昔話をしました。 色々痛快なことがありました。 先生は音楽室で良くオペラのレコードにあわせて練習していました。 私が憶えているのはヴェルディのリゴレットでした。先生はバリトンで したので主人公になりきっていましたね。 また先生が合唱団のメンバーでテレビに出演されソロを歌われたのを 憶えています。出演の数日前からはマスクをして小声で話していました。 あれは大夕張では一大事件だったのです。 生徒達が休んでテレビを見ていたというのが問題視されましたが、 芸術に接することは決して悪いことではないと言う校長先生の 判断で一件落着でした。 米谷先生はそのことがとても感激したと後に語っていました。
(1325)宝町の図書館 投稿者:久々湊 真一 投稿日:06月28日(木)23時00分37秒
宝町から千年町へと抜ける途中に、図書館がありました。志村パン屋さんの近くで す。私は、鹿島中2年の頃から頻繁に利用するようになりました。「学校から帰宅 する途中で寄り、学校の宿題を片付けてしまう。家に帰ったら遊びに集中する。」 との、不謹慎な動機でした。 動機は不純でも環境が育ててくれるものってあるのですね。「回りに迷惑がかから ぬ様、静かにしなくては」「本は大切にしなくては」等のマナーの面。「こんな本 があるのか」「ずいぶん多くの人が、この本を読んでいるんだなー」等の興味の広 がりの面。など、場所を借りただけなのに、新たな視点を多々教えて貰ったような 気がします。 ある時、一緒に利用していた友達から「あの人、知ってるか?」と小声で話しかけ られました。時々見かける人でしたが、名前を知らなかったので首をふると。「星 山忠二(漢字合っているかしら?)さんだよ」との答え。「すごい秀才である」と 先輩方から名前を聞かされていた人でした。星山先輩は、分厚い辞書を2冊テーブ ルに広げながら、何かを書いていました。 当掲示板で星山先生と子供さんに関する消息を読みながら、この時の風景および 憧憬の気持ちを思い出しました。
【平成9年7月の宝町】
平成9年夏の宝町。すでに鹿島図書館の建物はなく,上の写真にも図書館の横にわずかに写っている隣の建物だけが残されていました。このあたりは,昭和43年の地図では,「とらやのパン」と書かれていました。駒井電機の看板がかかっています。かつての宝町浴場から千年町へ抜ける道路ですが,道路右手に立ち並んでいた炭砿住宅の名残が写真でも見てとれます。 平成13年現在では,このあたりには,ダム工事関連の巨大な土砂置き場がでできています。 |
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【夕張市立図書館鹿島分館】 昭和30年2月1日 >>宝町旧鹿島支所あとに 夕張市立図書館鹿島分 館開設。 本館より300冊分冊し 職員2名でスタート。 昭和35年12月15日 >>鹿島分館新築。 平成2年3月 >>鹿島図書館解体。 |
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