千年駅前通り      

(昭和45年頃)  @@画像をクリックすると拡大されます@@ 


願生寺の向かいの郵便局や交番のある通りと,この通りは道ひとつしか違わないのですが,前者は酒屋や飲み屋,商店街が軒を連ね中学校行きのバスが走るメインストリートだったのに対し,こちらの通りは,病院,床屋,新聞店,風呂屋などの人々の生活のにおいがする通りでした。右手前から理容院の赤と青が回転するマークと,ポーラ美容院の看板,そして左手前には,見えていませんが河野歯科医院,そして写真に見えているのは,藤本診療所のあたりでしょうか。

千年町駅へ行く   


平成9年夏千年町 河野歯科医院だった建物】

国道から見たところ。この年の秋,取り壊されました。

【みなさんの投稿から】

(622)千年町の思い出 投稿者:菅井宏史  投稿日:12月08日(水)06時52分13秒

私にとって千年町は長らく住んでいた富士見町に次いで思い出深い町です。
といいますのも、実はわずか数カ月の短い間でしたが、何を隠そう千年町
の住人であったからです。今回アップして下さった界隈をよく自転車で走
り回ったものです。(ああ、なんて懐かしい写真!)

HPの千年町マップでパチンコ店と消防署の間が空き地になっていますが、
昭和42年頃そこに郵政の官舎として(と思うのですが)平屋一戸建ての
ブロック住宅が四棟新築されました。恐らくこの地図で空白になっている
のは建築中であったためと思われます。父は大夕張郵便局員で、同じく富
士見町にいた職場仲間の家族と共に我が家もそこに引っ越すことになりま
した。それまでの富士見町の煤汚い二軒続きの木造の古い家から、新築さ
れたばかりの真っ白なブロックの一戸建てですから、それはもう嬉しかっ
たの何のって、正に夢のようでした。
私の家は一番北側でバス通りに面していました。子供部屋としていた部屋
はそのバス通り側にあり、停留所も確かすぐそこであったと思います。
今思うとその窓からの眺めは千年町の中で一番賑やかな風景でした。

しかし、その嬉しさもつかの間、それから数カ月後には急に決まった父の
転勤のため大夕張を離れることとなってしまいました。
確か4年生の夏前に千年町に移り(昭和42年)、秋頃にはそこを離れた
と記憶してます。そのまま大夕張に居続ければ、翌年の新学期から東小に
移るはずでしたが・・千年町から鹿島小にその間通うことになりました。

富士見町時代は通学路には住宅しかありませんでしたが、鹿島小から千年
町の通学路(校区が違うので通学路と言うべきではないですが)は何と刺
激に満ちていたことでしょう。
下校時に、武富町のレコード店で見かけた当時ヒット中のタイガースの
A面「花の首飾り」とB面「銀河のロマンス」のレコードが欲しくて欲しく
てたまらず、親にねだってついに買ってもらい、それを家のちゃちなプレー
ヤーで何度も何度も部屋で聞いたものです。部屋の窓から見える千年町の
賑やかな通りの様子を眺めながら・・。
そういえば銀河のロマンスの中の「アイ・ラブ・ユー、燃える頬に美しい
愛のくちづけ」というフレーズが4年生の私にはちょっと恥ずかしかった
ですね(笑)。
その後もタイガースのこの二つの曲を耳にすると、窓から見える千年町の
その賑やかな様子が浮かんで来たものです。
千年町時代が余りにも短かったもので、もはやその時のことはほとんど記
憶の表面には現れないのですが、今日、駅前通りの写真を見て、急に懐かし
くなり、思い出すまま書いてみました。

(59)河野歯科医院 投稿者:乗田 功一 投稿日:1997年11月04日(火)03時25分13秒

『河野歯科医院』といえば、私が初めてお世話になった歯医者さんです。
何度も大夕張に行き、この建物も写真におさめていたのですが、何の建物か思い
出せず気になっていました。 飯田さんのおかげで、また一つ記憶がよみがえりま
した。
小学校の低学年、何年生かは忘れましたが、父に連れられてここへ行きました。
治療中に必死に痛みをこらえて、泣き出さなかったのを帰り道に父が誉めてくれ
たものです。
待合室にあった雑誌(たしか週刊ベースボール?)に載っていた「阪急ブレーブ
ス」というチーム名が、なぜか妙に記憶に残っています。

先日のニュース番組の大夕張特集を見てあらためて思うのですが、大夕張が湖に
沈むという事がなぜこんなにマスコミに注目されるのでしょうか。
ダム建設で街が沈むという事例は日本中にあると思います。そして私の知らない
大きな問題がそれぞれの土地で起きているのでしょう。
それなのに大夕張だけが妙に注目されていると感じるのは、私の勝手な思いこみ
なのかもしません。しかし、かつて2万5千人もの人口があり、全国でも有数の
大手炭鉱の城下町として栄えた一つの街が永久に消えるというのは、歴史的に見
てもやはり珍しいことなのでしょう。

そんな「大夕張」の、にぎやかで活気があった時代を知っている私にとって「大
夕張」とは、やはり愛すべき故郷(ふるさと)です。
そして永久に消えて無くなるということは、とても寂しく悲しく、言葉でうまく
表現できないけれど、やり場のない「くやしさ」を感じます。

(58)10月19日に消えていたもの 投稿者:飯田 雅人 投稿日:1997年11月02日(日)23時13分24秒

10月19日(日)に大夕張に行った時,古い家々の取り壊しが進んでいました。
『河野歯科医院(千年町)』
この夏行った時にはまだあり,写真を撮ってきたのですが,今回はすでにありませんで
した。小さい頃,歯並びが悪く,矯正に通っていました。広い待合室で順番を待ってい
たことを,覚えています。

『barダイアナ(千年町)』
なんでこんなところを覚えているのかというと,中学生の頃千年町の児童公園を通って
通っていました。三吉神社のとなりにあった公園です。よく公園で寄り道をして友達と遊
んで帰りました。表通りとは反対のっその公園の出入口のところにダイアナという飲み屋
があったのです。その隣には漫画の貸し本があったと思います。
当時,中学生であった自分にとって「ダイアナ」という響きになんとなく子供とは違う大
人の世界を好奇心たっぷりに感じたものです。そこは瓦礫と化していました。

よろしければこのページの写真にコメントをつけてください。
どうぞご協力をお願いします。
お名前
(ニックネーム可)
<全角20字以内>
メールアドレス <掲載希望の場合>
思い出
  

TOPへ  町内案内板
思い出帖 全景 掲示板
大夕張鉄道 自然 人々