たなばた

(昭和40年代 / 高橋歌子さん提供)  


【みなさんの投稿より】

(1335)たなばたの思い出 投稿者:小野 美音子  投稿日:01年07月07日(土)10時20分34秒

兄の投稿の「新世界」で思い出したのは、母の盲腸の手術日の朝飯どき
励ましに兄がレコードをかけようとしたら、A面の曲が「未完成」でした。
こりゃ手術が未完成じゃまずいね、B面にしようかと変えたら「新世界」で
新世界に行かれちゃもっとまずいね、と皆で笑ったことがありました。

さて、今日は七夕ですね。緑ケ丘のブロック2棟8軒で心に残る七夕が
あります。当時小6の兄が企画し音頭を取って皆が楽しみました。
兄達が大きめの笹を用意し、皆に願い事の短冊を書くように言いました。
そしてそれは星山さんへの階段のところにきれいに飾られました。

リンゴ箱のステージで小さい子供たちに歌うよう兄が司会をしました。
なんとごほうびがでるというのです!ゆかたを着てる子もいてムード満点。
木下兄弟や関村姉弟、私達兄妹は恥ずかしながらごほうびにつられて
一生懸命に童謡を歌いました。見物人の親達も楽しそうに拍手〜拍手〜
今は亡き川添登志子先生や関村さんのおばさんの姿もありました。

茶封筒に入ったごほうびの正体は兄達が机の引き出しをゴソゴソして
見つけた使いかけの鉛筆にサックをはめたもの、古そうな消しゴム、
中軸の調子の悪い万年筆。木下さんも供出してくれてそちらは
もう少し良い物でした。それを嬉々としてもらった素朴な子供達。
緑ケ丘の雰囲気がなごやかな時代の思い出です。
*********
久々湊様、吉田秀和館長さんて、小泉さんも驚くライオンヘアーの
大芸術評論家ですか?新聞にお年を召したので音楽会に行くのが億劫と
お書きだったので案じていましたが水戸で御活躍なのでしょうか。

帶向商店が誰かのいたずらで莫大な値でネットに売りに出たそうです。
不動産屋さんが購入したいとみえたそうですが、もちろんそのつもりは
なく、奥様はびっくりすると同時にその値段にまたびっくり ・・!
お店を発展させた奥様は現在旦那様の介護に尽くされております。

(677)はじめまして(旭橋のことです) 投稿者:工藤 央  投稿日:00年01月06日(木)14時05分43秒

はじめまして。明石町に昭和45年6歳時まで過ごしていた工藤と申します。
父は夕張東高の教師をしており、校門脇の教員住宅に住んでおりました。
夏場にはバレー部の顧問をしていたため、よく生徒の方が合宿といってうちに泊ま
りこんでいたのを覚えています。

さて旭橋の思い出といえば、七夕の時に旭橋の上から使命を終えた笹と短冊を流し
ていたことです。
3歳下の弟は幼かったため記憶にはないそうですが、私は毎年短冊に書いた願い事
をかなえるために川に流すのだよと言われ、泣きながら家族で流しに行きました。
幼稚園生だった私は泣き虫で、ちょっとした悲しみで涙をしてしまっていましたが
現在ではせいぜいドラマに感動して、妻に見つからないように涙を拭く程度です。

今では父母は札幌に、私は東京、弟は千葉で家庭を持ち、それぞれに別々の生活を
営んでおります。
大夕張は私にとって最初に記憶のある土地でかつ生まれたところですので、ダムに
沈んでしまうと聞いたときには非常にショックでした。
5年程前に大夕張を訪れた際、生まれた場所を見に行きましたが、基礎に使用して
いた石が残っているだけで、校門がなければわからない状況でした。
なにかとりとめもない話になりましたが、私にとって大夕張は永遠の思い出になっ
ています。

(466)「ローソク出〜せ」の歌 投稿者:乗田 功一  投稿日:99年08月08日(日)02時44分38秒

七夕の「ローソク出せ〜」の投稿は私だと思います。
この歌、続きがあると思うのですが全部ご存じですか?
ドラマ「北の国から」の中で少しだけこの歌が登場する
場面があるのですが「ローソク出せ出せよ 出さないと
かっちゃくぞ おまけに食いつくぞ・・・」と歌ってい
ます。でもこの先の歌詞が判りません。
飯田さんの娘さんならご存じでしょうか?

(465)七 夕 投稿者:飯田 雅人  投稿日:99年08月07日(土)19時00分31秒

今日8月7日は,北海道地方の七夕です。保育園に通う下の娘は
七夕の唄で,「ローソクだーせー,だーせーよー。だーさーない
と,かっちゃくぞ」と歌っています。以前,どなたかの投稿にも
あったようにこの歌は北海道地方だけで歌われているのでしょう
か。大夕張では,カンテラを下げて各家庭を回りましたが,今は
私の近所ではそのようなことをすることはありません。歌だけが
残って伝わっているのでしょうね。
我が家では,プラスティク製の笹に「てつぼうができるようにな
りますように」という願いごとを書いた紙を下げて飾っています。
子供の願いごとはいまとかわっていないなあと思います。

「ローソクだーせー,だーせーよー。
              だーさーないと,かっちゃくぞ」

ン十年目の少年少女達の声が響いた大夕張の七夕の晩,今晩です。

(62)提灯行列の思い出・・・ 投稿者:乗田 功一 投稿日:97年11月06日(木)01時17分14秒

提灯行列、懐かしいですね。空き缶の底に五寸釘で細かい穴をたくさん開けて、針金で
取っ手を作る。ローソクを灯し、そしてみんなで歌を歌いながら家々を回りローソク集
め。収穫をみんなで自慢しあう。

    「ローソク出〜せ 出〜せよ  出〜さ〜ないと カッチャクぞ・・・」

これは北海道特有の風習でしょうか?昔、「北の国から」というTVドラマでこの場面
がありました。(ちなみに私の住む神奈川では「カッチャク」は全く通じません(^^;))

私の思い出は、各家を廻りそれぞれの家では快くローソクを手渡してくれるのですが、
栄町のあるブロック住宅の2階のお宅で、玄関でいくら大きな声で「ローソクちょーだ
い!」と言っても誰も出て来ません。よく見ると下駄箱の上にミカン箱が置いてあり、
中には大量のローソクが入っています。つまり、入れ替わり子供たちが訪ねて来るので
その応対に煩わされるのを避けるための苦肉の策なのでしょう。
もちろん、手のひら一杯のローソクを戴きました・・・(^^;)

noritax@ba.mbn.or.jp   乗田 功一   from kanagawa fujisawa

(61)七夕の記憶 投稿者:高梨 晶一 投稿日:97年11月05日(水)22時07分34秒

小学校六年の10月まで鹿島小学校に通っていました。
その後、千葉に越したため、私自身は鹿島小の卒業生ではありません。
春日町北6-12に住んでおり、詰め所は近かったと記憶しています。
すでにどなたかが書いたでしょうが、夏に行っていた提灯行列を思い出します。
空缶に穴を明けて、ローソクをたくさん集めた記憶があります。

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