(昭和48年頃) @@@画像をクリックすると拡大表示されます@@@
この位置からの写真の風景は鮮明です。それは,この道が鹿島中学への通学路になっていたからです。鹿島中への登校は毎朝この写真の向こう宝町の方からやってきて,サトミ会館の横を通り,常磐町へ渡るつり橋(暁橋)に続く急な坂道を降りていくのでした。そして中学校からの帰り道,つり橋を渡り,傾斜がきつく息を切らしながら坂道を登り,上がりきったところには,背の高い木が繁り,そこでほっと一息つくのが常でした。友達と語らいながら目線の先にこんな光景を見ていたように思います。
中学校帰りの夕方,サトミ会館の軒下を歩きながら,家具店と飲み屋街が一緒になっている奇妙さと,外からよく見えないように板の塀がめぐらされていた建物のつくり,そして店名を写して赤く光る電灯になにやらあやしい大人の世界を感じていました。
サトミ会館の写真右側にはパチンコ店(旧大夕張劇場)があり,この辺は商店街が建ち並ぶ千年町でもっともにぎやかなところでした。この道をまっすぐ宝町の方に行くと,志村商店,水原呉服店,正木商店などが並んでいました。
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(1)【チーさん】さん
サトミ家具屋の息子、今社長かなあ?
とは同級生だった
千葉床屋の娘さんも同級生だったなあー
(2007/05/12(Sat) 19:10)
【平成9年のこのあたり】
無人の大夕張になる最後の8月。志村商店はまだ当時のままに看板を掲げていました。サトミ会館の合った場所は手前の草原。
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