斎藤商店付近

(昭和47年頃 / 鹿島小郷土室所蔵)  @@@画像をクリックすると拡大表示されます@@@ 


【みなさんの投稿から】

(1224)「斎藤さん」は「斎藤商店」 投稿者:高橋歌子  投稿日:05月21日(月)19時23分09秒

千年町にあった「斎藤商店」。
家のものはみんな「斎藤さん」と呼んでいました。

「斎藤さん」命だった私は、今でも中の様子が思い浮かべます。

まず、「斎藤さん」には入り口が二つありました。
左の入り口から入ると、左手にはあらゆる食品がずらーっと並んでいました。
憧れの品は「ボンカレー」と「玉屋のシュウマイ揚げ」。
当時、インスタント食品と言えばラーメンくらいしか食べなかった我が家では
めったに買ってもらえませんでした。

右の入り口から入ると、右手には文房具や日用雑貨が並んでいました。
正面には量り売りのお菓子を入れるケースがありました。
当時は町内でまとめてお菓子を買うことが多く(昼下がり主婦たちが何を買うか相談していた)
遠足のときくらいしか買ってもらえませんでした。

中央にパンを入れるガラスケースがあって店主は大体その辺にいて、会計する場所でもありました。
食パンは時々買っていましたが、菓子パンもめったに買ってもらえず眺めるだけでした。

右と左をつなぐ通路には、奥に牛乳の冷蔵庫、手前にはアイスのケースがありました。10円の「おっぱいアイス」とか、細長くて平べったいビニールに入った赤い氷は良く食べました。
メロンの形をしたアイスや、雪印のラクトアイス・20円とかはやはりめったに買ってもらえず、
横目で見ながらいつものにしていました。

小さい頃「いなくなったと思ったら斎藤さんの前にいた」そうで
いまだに笑いの種になっています。

あの頃今くらいお金があったら、今考えるとしょうもないものがげっぷが出るほど買えたろうになー。
なんか悔しい。

【平成9年の大夕張】

閉村直前の大夕張。千年町の浴場に降りていく階段が残っていた。この階段を通り,
この4軒連なったブロックの住宅の前を通って,奥の教員住宅へと通っていた。当時は家々の前の花壇に花が咲き誇り,その間の坂道や土手をここに住むいとこたちと駆けていた。


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