(昭和62年 / 奥山道紀さん提供) @@@画像をクリックすると拡大されます@@@
南大夕張の駅はホームからちょっと小高いところにあった駅でした。私は,大夕張が閉山になる前の南大夕張の記憶しかありませんが,南大夕張に主力が移ってからは市内の高校への通学等この駅舎を起点に通った方も多いと思います。この写真がとられた,昭和62年7月に,清水沢〜南大夕張間 7.6Kmが全線廃止されました。この年は10月に鹿島北栄町(いわゆる官行)を通り,芦別へぬける道々夕張−芦別線が開通するという年でした。ちなみに7月末の当時の鹿島の人口は794人でした。
(1)【橋本正樹さん】
当時、私が住んでいた官舎は、南大夕張駅のまだ奥の山手にありました。
冬は、父が私をそりに乗せて、駅前の坂道を下って、保育所の送迎バスの停留場まで送ってくれました。
また、当時、チビという雑種の雌犬を飼っていました。
チビは、私をバス停まで見送ったり、保育所から帰ってくる頃には、バス停で私を待っていたりする本当に賢い犬でした。
だから、今でも犬が大好きで、雌の柴犬と一緒に暮らしています。
亡くなった父やチビのことが思い出され、目頭が熱くなりました。
(2006/09/29(Fri) 15:31)
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