1998年12月5日(土):交流会 |
12月5日土曜日6:30より,札幌駅近くの札幌第2ワシントンホテル2階『いろり番』で交流会は行なわれました。今年の札幌はすでに11月の大雪で根雪になっていて,しかも当日は,あいにく雪が降る悪天候でした。したがって交通事情も悪く,その上私など,要領が悪く家を出る直前までこの会で配布するCDROMの作業をしていたため,遅刻をしてしまいました。でも,会がはじまるとうちとけた和やかな雰囲気が,そんなことをすぐに忘れさせてくれました。
自己紹介がはじまり,それぞれの方々が簡単にスピーチをしていくうちに,あらたなつながりを発見して驚く声や,またそこから話が盛り上がったりしていました。暮らした年代も世代も違う私達でしたが,大夕張という小さな街が太く強い絆となり,楽しく交流を深めることができました。途中,このHPでよく顔を出してくれている早苗さんの電話での参加も,またその場をいっそう盛り上げてくれました。
鹿島の学校の徽章のコレクションや開校40年誌のコピー,ダム建設以前の昭和38年の大夕張の地図,大夕張再訪の手記など見せていただきました。どれも貴重なものばかりで,これまで保存されてきたことに驚きました。すでにこのHPで紹介させていただいているものもありますが,今後のHPづくりにきっと反映させていきたいと思います。二次会はススキノまで流れ,結局12時過ぎまであっという間に時間がたってしまいました。
ネット上で,投稿やメール,チャットなどを重ねて交流を深めてきた仲間の方々が中心になって集った会ですが,何よりすばらしいことは,私達の思い出の食堂池田屋食堂のおばさん,こと池田八重子さんが参加してくださったことです。おばさんの温かくみなさんを包むやさしさが今回の会の中にも流れていたように思います。私にとって,そしておそらく参加されたみなさんすべてにとって,また一つふるさと大夕張を心に刻むことのできた一日となりました。
今回の会に参加してくださった皆さんはもちろん,参加したくても参加できなかった皆さん,ぜひまたネット上で交流していきましょう。きっとあったかくて,ほっとする場がきっとそこに生まれるはずですから。
最後にこの会を企画し支えてくれた,可愛い二人の妖精を連れて家族で参加された斎藤敏幸さんといつも心配りが細やかな佐藤次男さんのお二人には感謝の気持ちでいっぱいです。そして参加された15人のみなさん,ありがとうございました。最後に,参加されたみなさんが掲示板の方に書かれた文章が当日の雰囲気をよく伝えているので,写真とともに掲載させていただきます。
(220)12月5日の交流会 投稿者:佐藤 次男
投稿日:12月08日(火)22時33分40秒
先日12月5日 札幌にてこのHPでも呼びかけた交流会をおこないました。世代もばらばらで、大夕張という繋がりのもと、15名の方が参加してくださりとても楽しい時間を過ごすことができました。
池田屋のおばさんも、昔とぜんぜん変わりなく会った瞬間「あ!池田屋のおばさんだ」と感激してしまいました。正直に言って会うまでは、おばさんどんな顔していたかなと思っていたのですが、会った瞬間、おばさんの記憶が鮮明に思い浮かんできました。
それぞれ参加してくださった方とお話をしたり聞いていると、意外な所で繋がりがありたとえば、参加してくださった方の一人は、私の同級生のいとこでその方の親が近所に住んでいたり、他のところでは「え!君はXXの弟かい。」など参加された方の同級生の弟さんがいたりしていました。
大夕張で過ごした時は、違うけれど参加された方々と共通の思い出を共有しているということを実感でき大変楽しい有意義な日を過ごすことができました。
飯田さんをはじめ今回参加してくださった皆さん本当にありがとうございました。
(218)思い出のおもちゃ箱を開けて 投稿者:成松 泰彦
投稿日:12月08日(火)13時14分53秒
先日、飯田さんのこのHPで知り合った?まだ見ぬ方々と会う機会に恵まれ参加させていただきました。
同じ頃、同じ思いをしていた方、早くから大夕張を離れた方等々、世代を超えて…
私自身、15年しか暮らしていなく離れた後の生活の方が長くなってしまっていますが、皆さんふるさとを思う気持ちは一緒でした。外は凍えるような寒さなのに、池田屋のおばちゃんを中心に暖かくそして懐かしい話しに、そこだけ花が満開に咲いていました。
斎藤さんもおっしゃっていましたが、パソコンという画面だけの付き合いで終わるはずの私達が「大夕張」という絆のもと集まり、生の声を聞いて会話し、みんなで思い出の宝箱をひっくり返して本当に楽しいひとときでした。
たとえば、僕らの世代の会話……
同級生の恵美子さんが「ねぇ、ねぇ、台所の水道の横に大きなカメが置いてなかった?」って。「そう言えば、ひしゃくで水を汲んだよな、でもどうして水道があるのにカメがあったんだ?」って具合…
すかさず、ちょっと前の先輩達が「僕等の時代は1件、1件に水道はなくって外付けの水道から自分宅用の長いホースを引っ張って、各自そのカメに水をためたんだよ」、「そうそう冬は凍結防止のために、水を出しっぱなしにしてたよね」って。
恵美子さんが友人に同じような会話をした事があるそうです。そうしたら「えっ!家に水道がなかったの?」で、会話が途切れてしまったとか…
…≪皆、大爆笑≫…
「大夕張で育った人間じゃなっかたら、なかなかわかんないよな〜」
その通りでありました。 等など
今回企画してくださいました、斎藤さん、次男君本当にありがとうございました。
そして、まだ見ぬ皆様へ…
今度はぜひあなたの思い出箱を開けてくださいませんか?
(217)温かくて楽しい時間 投稿者:斎藤 敏幸
投稿日:12月06日(日)23時51分46秒
沢山の人々が離散した閉山から25年の時間が流れた1998年12月5日,大夕張と関わりのある15人の仲間が交流会に集まりました。
上は67才から,下は1才7ヶ月の幼児まで世代を超えた人々の集まりです。大夕張で過ごした時間の長さも交友関係もそれぞれ違いますが,このHPを通じた絆により集まることができました。
パソコンを終了させれば画面が消え,全てのラインが切れてしまう。ただそれだけの機械の箱です。でも私達はこの機械を通じて,飯田さんのHPと出会うという偶然に恵まれ,旧知の友であるかのように心を通わすことができました。
池田屋食堂のおばさん(池田やえさん)もお元気でした。現在67才ですが,今でも現役で仕事をされております。
それぞれが兄弟,姉妹,友人の話をすると皆どこかで繋がりがありました。まだ学生の頃は,そんな繋がりが閉塞的で窮屈に思え反発したこともありました。
でも参加者全員が確認できたことがありました。それは,今各自の中にある人間的で良い部分は,あの小さな街の中で育まれたということです。
たぶん,このことに気づいた時点で,大夕張は私達の中で永遠の命を持つことができたのだと思います。
本当に,温かくて,楽しい時間を共有することができました。
今回参加できなかった方も,次回はぜひ顔を出してみてください。
池田屋食堂のおばさん,飯田さんをはじめ参加者の皆さん,ご苦労様でした。