(昭和30年代 / 鹿島小郷土室所蔵) @@画像をクリックすると拡大されます@@
千年町にあったこの2つの建物は,沢で隔てられた明石町は別として,ちょうど市街地の外れにあるようにたっていました。大夕張からでかけて帰ってきた際には,明石町を過ぎてから一番最初に目に飛び込んできたのがこの建物でした。
昭和28年の鹿島・南部地区の夕張市からの分町問題以降,鹿島支所には,助役1名が常駐し,鹿島支所南部派出所の設置,道路建設の大幅な市費投入,労働会館の建設,高校の独立校舎建設の具体化などの動きにつながっていったということです。
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夕張市役所 鹿島支所 |
鹿島労働会館 |
(2)【石黒 静治さん】
私は昭和18年生まれ鹿島小から鹿島東小に三年生に転校し常磐町5丁目6番地に鹿島中学校卒業するまで居ました。
それからはずーと関西にいまして45年ぶりにこの鹿島地区を訪ねましたが なにもない故郷に愕然とし悲しく 寂しく1日中旧鹿島小跡に座りこんでいました。
炭鉱地でなければ故郷はあるのに 私には故郷がない
悲しかったです。
友にも逢えない その時にたまたま インッターネットでのこのHPを発見し懐かしさで毎日拝見しています。
同級生 同年代のかたがたにあいたいものです。
私は定年から今は札幌市に住んでいます。
同年代 又鹿島出身の方からのメールをお待ちします。
ちなみに吉田先生弟さんは私の同クラス同級生だと思います。
(2006/06/22(Thu) 08:07)
(1)【阿部照子(旧姓白岩)さん】
開館時に、母が管理人及び調理師として住み身体を壊すまで住んで居ました。
父は役所でしたので小学生の私は両方を、行ったり来たりでした。
又、結婚式や宴会、宿泊者の時は、忙しいと小学生でも手伝わされました。
後にいい経験と感謝、懐かしく思い出します。
前の花壇も花好きの母が手作り、私もいやいや手伝ったのを覚えています。
ちなみに結婚式第1号は東小の吉田敏雄・藤原冴子両先生で雄蝶を吉田先生の弟さん、雌蝶は私,仲人は猿倉校長ご夫妻でした。
裏の崖からは、常盤町が一望出来私のお気に入りでした。
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