(奥山道紀さん提供) @@@画像をクリックすると拡大表示されます@@@
三菱大夕張鉄道 南大夕張〜遠幌間の沿線にあった炭鉱の一つです。
【村田 哲男さん】H17.6.26
平成17年6月18日開催の、われ等のヤマの炭鉱離職者の懇親会で、この写真の人物とお会いしました。
約50年前の、この写真を見て本人も撮影時の記憶は無いが、自分であることは確かであり、本当に懐かしがられ感激されていました。
この方は、背景の施設(索道設備)と共に青春時代を過ごした炭鉱マンでした。
この電子媒体と、その提供者にも感謝の意を述べられていたことも、私より申し添えておきます。
【村田 哲男さん】H17.4.5】
私が昭和30年より勤めた我がヤマの積込みポケットと索道バケットは懐かしい写真です(昭和32〜3年の撮影?)
写真下部中央の人物は、私が入社時の独身寮の先輩のMさんです。
長身のあのスタイル、風采は当時「送炭係」だった彼を思い出します。
現在76歳で頗る元気で、東京都内に在住。再来月(6月中旬)の会合に出席されれば、さぞ喜ばれることでしょう。
我々の会合では、互いに古い写真等を持ち寄るのが、以前からの慣習になっているのです。
写真提供者の奥山様は、若しかすると、彼と面識があるかも知れませんね。
【写真掲示板への投稿より】
北夕炭鉱 投稿者:奥山道紀 投稿日:2002/11/20(Wed) 21:04
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清水沢から列車で大夕張炭山へ向い遠幌を過ぎた辺りに、二つの
石炭積込みポケットがあります。最初のは北菱鹿島炭鉱、南大夕張
寄りのが北夕炭鉱のものです。どちらも夕張川の対岸に事業施設を
持ち、石炭は索道やベルトコンベアで運ばれてきました。この写真
は北夕炭鉱のものですが索道により石炭が運ばれている様子が判り
ます。のちこの索道もベルトコンベアとなり中小炭鉱ながら昭和
45年まで操業が続けられました。
「山史鉄道編・三菱大夕張鉄道沿革史」には下記の記載があります。
札幌鉱山株式会社が北夕鉱業所を開坑、昭和24年9月16日より
5粁388米地点に専用岐線と積込ポケットを新設、石炭の積出を
開始、昭和27年3月18日夕張炭砿株式会社北夕鉱業所と社名変
更。
後昭和33年5月頃炭況悪化のため一時閉山問題も起りしが、よく
これを再建、年産6万屯を輸送せり。
開坑当初より運賃支払方法に関し後払契約を締結しおりたるが、昭
和33年10月1日これを解除、現払又は拓銀小切手をもって取扱
いたるところ、出炭好調で経営安定のっ兆あり、更に当社買付炭の
関連もあり昭和38年9月1日より再度後払の契約を締結せり。
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