(昭和36年5月頃 / 佐藤次男さん提供) @@@画像をクリックすると拡大表示されます@@@
三菱大夕張炭鉱病院の隣りにあった三菱バス営業所で写した写真だそうです。ちょうど,この年の5月に三菱美唄鉄道バスから三菱鉱業バスに社名が変わっています。バスの後ろには礦業所から伸びる配管がうつっています。
山内線が昭和32年に運行を開始してから,しばらくこのバスの印象が強く残っていました。このバスを見て,『いすゞバスが来た!』と子供の頃言っていたところをみると,いすゞ製のバスだったのでしょう。このバスの後ろの座席に座って栄町から炭鉱病院に向かう途中の悪路で大きく弾み,堅い椅子にしこたまお尻をぶつけてとてもいたかったような記憶があります。
グレーの箱型のバスがでてきたのは,昭和40年近くなってからだと思います。これらのバスの塗装は事情はわかりませんが,当時の都営バスと同じ配色だったのだそうです。そして,白と青を基調とした新塗装の三菱(鉱)バスは,昭和42,3年頃から出てきたのではなかったでしょうか。
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