(昭和48年 / 上村 正樹さん撮影) @@@画像をクリックすると拡大表示されます@@@
(831)お祭りの思い出 -ふるさと誌大夕張から- 投稿者:飯田 雅人 投稿日:05月27日(土)16時16分01秒
大夕張のお祭りについて,大夕張に長く住んでいた方々の座談会から抜粋して 掲載します。(引用は「ふるさと誌大夕張」からです) -------------------------------------------------------------------------- 司 会◆その頃子供達も増え,お祭りなどかなり盛大にやったと思うのですけれ ども,お祭りの思い出をお聞かせください。 小 島◆一番人口の多いときといったら,それこそ各町内から御輿のほかに,山車 を出して,全部鹿島小学校のグラウンドに集まりました。 小学校の上の大夕張神社から所長が馬に乗って降りてくるのです,お御輿 と一緒に。 それから街の中を練り歩いたものです。 坂 本◆ぐるっと各町内を回って帰ってきて,自分の町内でいろんなことをやりま した。 小 島◆大きな道路には全部,提灯のようなものに,絵をかいたり,歌を書いたり したものが飾ってあって,神社の上までずっと続いていました。 神社に上がる両側には出店がずっと並んでいて,池のところに太鼓橋がか かっていました。 北 畠◆当時は大勢の子供たちがいましたので,みんなお祭りにでられたわけじゃ ないのです,私は選ばれましたが。 みんなで山車を引っ張って歩きました。今は車ですけれども,当時は荷台 みたいなものをみんなで引っ張って「あら,よいよいよい」とか言って, 練り歩いた記憶があります。 松 原◆各町内の女の子みんなに着物を着せて,要所要所で踊りを披露してご祝儀を もらっていました。山車をつくったり,踊りの花吹雪とか,桜の花形を木に はっつけたりと,だんどりを大体10日くらい前から始めて盛大でした。 司 会◆あの飾りといったらすごかったですね。 松 原◆各町に青年会というのがあって,会員のみなさんが方が主力になってやって びっちりやっていました。 昔のお祭りは5月11日,12日,13日でしたが,大夕張では,5月10日を過ぎ ても雪がふることがあるので,1ヶ月延ばして6月にしたのです。 そうしましたら,11,12,13日で大夕張のお祭りが終わると14,15日は札幌の 祭りですから,今度はそこにお祭りをもっていったり,鹿島のお祭りという のは,しょっちゅう変わったのです。 最後は日曜日をはさんで前後とか。だから山神様も怒ってしまったのですよ。 本来のお祭りの意味とは違うんですよ。北炭はいまだに5月11日,12日,こ れは,変えていません。 坂 本◆北炭のある方ならいいのですが,大夕張は雪が降るから5月のお祭りという のは無理だと思いますよ。 坂 井◆お祭りといったら,私は父に怒られて室に入れられた記憶があるのです。 お祭りのときは,竹を細く切ったものに花を貼り付けた花飾りが各1軒1軒に 5,6本配られ,各家庭で軒下に飾っていました。きれいなものだから,私が 小さいときに「あら,おねえちゃんいいね」と言われて,通った方に上げてし まったのです。そうしたら,うちだけ飾っていないものですから,連帯意識と いうのですか,あの当時門馬というですけれども,家にないから父がすごく怒っ てしまって,そういう記憶があります。 花飾りは毎年いただいいていたようです。 松 原◆花飾りは三菱の会社が町内会を通して各家庭に配っていました。 司 会◆お祭りでは,男は相撲大会とかに出て小遣いをもらったりしていましたが,女 の人にも何かありましたか? 北 畠◆鉛筆とかお菓子をもらったような記憶があります。 司 会◆ただ,お祭りにでるだけでもらえたのですか? 北 畠◆そうです。 松 原◆賽銭とか,踊りをすればご祝儀をもらうでしょう。それをある程度分けていた のではないですか。 長谷川◆炊き出しもやっていました。主婦会の各班の方が。 松 原◆炭鉱が最盛期の頃は,全山挙げてお祭りをやっていましたから。 栄町3丁目の道路を山車が通っている写真がありまして,それを誰かが15周 年の日,炭鉱の閉山故郷まつりに写真館から借りて,飾った記憶があります。 小 島◆小学校のグラウンドにはサーカスなども来ていましたね。
(829)お祭り 大夕張神社の由来 投稿者:飯田 雅人 投稿日:05月25日(木)23時25分51秒
家の近くの公園のライラックが紫の花を咲かせています。もうすぐ,6月, 6月の大夕張の野は一面色とりどりのルピナスの花で,短い初夏が彩られるこ とでしょう。 私の住む札幌では5月28日(日)に多くの小学校の運動会,6月14,15, 16日には,北海道神宮のお祭りが行なわれます。初夏の季候的にはとても良 い時期です。その札幌の神宮のお祭りに合わせて大夕張でも山神祭が行なわれ ていました。 子供の時代のにぎやかで楽しかったお祭りにもう少し,こだわってみたく,大 夕張神社の由来について,本にのっていることを次に書き記しておきます。 ---------------------------------------------------------------------- 大夕張山神社は,富士見町緑ヶ丘の一角標高360メートルの丘にありました。 昭和4年5月9日,三菱大夕張礦業所が南部から大夕張へ移るに際して,炭鉱 守護のため祭祠したもので祭神は夕張神社と同じく,大山祗命・大国主命・茅 野姫命の三柱を奉祀し,ご神体としました。 それぞれ,炭山守護,産業隆昌・開拓,結び・商工隆昌の神様なのだそうです。 当初,神職がいないので,式事祭典の際には,岩見沢や室蘭から来てもらって いたそうです。昭和22年夕張神社に管理祭儀を依頼し,大夕張神社と名称を 変更するとともに,伊藤卯三郎氏が宮司代理として奉仕し,昭和33年に大夕 張神社の宮司となりました。 維持は主として大夕張礦業所があたりました。氏子も多数にのぼり,四国より ご神体を奉祭したこともあったようです。閉山後は廃社となり,ご神体は健保 会館(武徳殿)の神殿に安置されていたということです。 毎年5月11日より3日間祭典を執行しましたが,昭和30年代のはじめ頃, 坑員の稼働効率から北海道神宮の大祭典と日程をあわせ(札幌祭り)6月14 日より3日間を山神祭典としました。鹿島小学校下に出店が30店あまりもで きて大変なにぎわいをみせ,協和会館その他で盛大な催し物がおこなわれ,大 人をはじめ,子供たちの大きな楽しみでした。 ----------------------------------------------------------------------
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