(昭和45年頃 ) @@画像をクリックすると拡大表示されます@@
黒い雲がおおう空。影できていることがから天気は良いのでしょう。大夕張にいた時にはよく,暑い雲の合間からかっと強い太陽の光が射すことがよくあったように思います。そんな夏の日なのでしょうか。三菱バスの大夕張営業所前から炭坑病院にむかっての風景です。炭坑の地熱を利用したものでしょうか,この写真に見られるように炭山駅から炭坑病院にかけて管が通っていました。シューシューと音を立てて,管のつなぎ目から水蒸気を吹きあげていました。
中学生の頃,出かけるときには,大夕張駅から乗ると込むので,家からは遠くなるのですが,この営業所まで歩いて始発から乗って席を確保した記憶があります。この頃の三菱バスは,すでに,現在の美鉄と同じような赤と白のボディに緑と青の線の入った塗装でしたが,私の記憶の中心にある三菱バスは灰色を基調とした塗装です。
【路線撤退間近 大夕張営業所前の美鉄バス 平成9年11月】
平成9年(1997年)年11月30日の路線廃止を約一ヶ月半後に控えた秋晴れの日曜日(10月13日)に訪ねた美鉄バスの営業所です。
この日の訪問の目的ではなかったのですが,たまたま記念乗車券を扱っているということを思い出したので中に入ってみることにしました。私が住んでいた頃からそこにあった建物ですが,そこに入るのは初めてでした。古い建物のため,中は薄暗く50代後半くらいの運転手さんがちょうどお弁当を食べていたところでした。
記念乗車券を買ったあと,しばらく話をしてきました。
かつて住んでいた人の消息など,世代が違うためお互いに知っている人はあまりいませんでしたが,それでも炭坑病院の知っている看護婦さんの名前がでたりしました。
お話しているうちに,運転手さんの住んでいた家が富士見町3丁目のブロックで,私が最後に住んでいた場所とわかり,その偶然に驚きました。
計画通りに進めば,今年中に全部の住民が移転し来年あたりにはほとんど建物がなくなるのでは,というお話でした。しかし,千歳町にあるお寺は,移転先をどこにするかでまだ遅れていて,決まっていないのだそうです。
「11月までここもまだやってるからね」と,最後に声をかけてくれたやさしい運転手さんでした。話をしているうちについつい目に涙が浮かんで来ました。こういうかたちでふるさとを出なければならない住民の方の寂しさふるさと失う無念さは私にも共通のものでした。
運転手さんにお礼を言い,外に出ると,「ありがとう大夕張」と窓ガラスに大きな字の書かれたバスが止めてありました。
昭和31年(1956年)9月から大夕張で走り始めてから41年目,最後の乗客を乗せたバスが11月30日はしります。すでに営業所は取り壊されたそうです。
大夕張炭山駅 大夕張鉱業所 炭鉱病院 三菱バス前 さようなら美鉄バスツアー
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