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[1597] 抜き書き10 投稿者:飯田 投稿日:2020/01/01(Wed) 22:39  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【逃 亡】(1)

不景気のしわよせは当然のように労働者がかぶらねばならなかった。
一日十時間から十二時間働き、賃金は坑内(男)72銭から1円で、
平均1ヶ月十八円から二十円の手取りしかなかった。米一俵八円、
みそ、しょうゆを買えば飲んで食ってチョンである。



[1596] 抜き書き9 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/30(Mon) 17:51  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】(9)

石炭は掘れども掘れども安く、明治42年生産高2万2千トン
価格120万であるが、大正三年生産高9万6千トンと四倍強
にのびたけれども、価格はわずかに330万円と半分近くまで
買いたたかれた。





[1595] 抜き書き8 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/29(Sun) 16:07  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】(8)

明治37.8年の日露戦争のあと大正3年第一次世界大戦が
始まる頃までは、不況のどん底で炭山に働く者の給料は山札
(金券)で支払われて、指定商店から買物をしてかろうじて
暮らしをたてた。




[1594] 抜き書き7 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/28(Sat) 12:14  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】(7)

このときの初代炭坑長は工学士松隈三郎である。
乗馬が好きで、勇払郡早来のフモンケ牧場を経営する
吉田権太郎氏が寄贈したハヤ馬(競走馬)の栗毛にまたがり、
早朝にはかならず馬場に姿を見せた。
(馬場は大夕張営林署の南部貯木場である)

注・・・飯田 
南部貯木場1〜6 http://www.ooyubari.sakura.ne.jp/kasima7.htm



[1593] 抜き書き6 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/24(Tue) 19:06  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】(5)

一月、買収が正式に決まるト、炭山(ヤマ)の人々はちょうちん行列などをして、
全山あげて祝った。



[1592] 抜き書き5 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/23(Mon) 10:44  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】(5)

まもなく商店の軒並みがみえて、三菱鉱業株式会社美唄礦業所管下の大夕張炭坑についた。




[1591] 抜き書き4 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/22(Sun) 08:48  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】(4)

きりたつような断崖にかけられた遠幌加別川の鉄橋はあゆみ板
もなく、枕木のあいだから下をみれば目もくらみそうで、冷や汗
がスーッと背筋を伝わってシャツやリックにすわれていく。
川の流れは緑にはえてあくまでも青く、千古の山々の峰をかすめて
本流にそそいでいる。





[1590] 抜き書き3 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/19(Thu) 15:25  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】(3)

国鉄清水沢駅から南部まで7、2粁、途中遠幌よりに保線小屋
があるだけで、山また山、重なりあうような森林は昼でも暗く
熊のスミカでもある。山ひだを縫うように走る曲がりくねった
鉄道線路の一本道、シューパロ川本流沿いを右に見ながら歩く。



[1589] 抜き書き2 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/19(Thu) 09:32  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】

買収金二十五万円(当時の)はリュックサックにつめ、
有江忠五郎会計主任の背にシッカリとせおわれて運んだ。




[1588] 抜き書き1 投稿者:飯田 投稿日:2019/12/18(Wed) 10:37  

大夕張炭鉱労働組合『二十年史』より

南部大夕張時代

【南部の買収】

三菱が大夕張炭鉱株式会社(現在の南部地域)を買収して、
本格的にこの地域の開発に乗り出したのは、大正五年の一月で
ある。




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